江戸吉原の三大景物の一つ『七月の燈篭』のもとになった太夫“玉菊”とはどんな遊女だったのか?:2ページ目
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玉菊灯篭
玉菊のいた角町中万字屋では、新盆のときに玉菊の追善供養として切子燈篭を店に燈したところ、店はとても繁盛したと言われています。
そのためお盆の時期には吉原中の店中が切子燈篭を飾るようになったという説や、
玉菊を愛した有志の人々がお金を出し合い燈篭を飾ったのがはじまりという説もあります。
どちらにせよこれが「玉菊燈篭」と呼ばれるほど盛んとなり、その賑わいが“吉原の三景物”の一つ“七月の燈篭”と呼ばれるようになったのです。
比類を見ないほど人々に愛されたという太夫・玉菊。歌舞伎や浄瑠璃の題材に数多くとりあげられた実在の人物なのです。そのお墓が、東京・台東区の永見寺に残されています。
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