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「どうする家康」何を考えておられるんじゃあ~!第19回放送「お手付きしてどうする!」振り返り:5ページ目
一、食い逃げと「焼き味噌」について
さて、三方ヶ原合戦で惨敗した家康は、遠江領民からさんざんバカにされていました。
やれ「逃亡中に餅を食い逃げした」だの「恐怖のあまり馬上で粗相した」だの言いたい放題。
ただしこれが家康と断定されてはおらず、史実性の低い有名エピソードを上手い形で回収できたと思います。
そんな領民たちを横目に、団子をほおばる井伊虎松(演:板垣李光人)。その視線は彼らと一線を画しているようで、家康をちょっと見直した?のかも知れません。
少なくとも、彼のために命を捨てて影武者を務める忠臣がいた(ただ死体に鎧を着せただけかも知れませんが)……次週予告で徳川家に仕官するような素振りがあったので、その線が濃厚でしょう。
ちなみに、家康の食い逃げ伝承は地名にも残っているそうで、地図を見ると「小豆餅」「銭取」という場所がありました。
三方ヶ原から約5キロ離れた場所で小豆餅を食い逃げした「小豆餅」、約2キロほど先で老婆(演:柴田理恵)が家康をつかまえ、銭を取り立てた「銭取」。
武田軍の猛追撃からは逃れられた家康ですが、老婆からは逃げられなかったようです。
ちなみにこの伝承の出典は現在調査中。もし史料や文献などご存じの方がいらしたらご教示願います。
さて、もう片方が皆さんお待ちかね?の粗相について。こちらは『改正三河後風土記』にこんなエピソードがありました。
……大久保忠佐神君浜松へ御帰城の時御馬の鞍壺に糞があるべきぞ糞をたれて迯給ひたりと罵りたるよし……
※『改正三河後風土記 上』巻十三「遠州一言坂の事」
【意訳】大久保忠佐(おおくぼ ただすけ。大久保忠世の弟)が、「殿が漏らして逃げ帰ったぞ。鞍も汚れておるじゃろう」と暴言を吐いたそうな。
家康はその悪臭を「これは焼き味噌の匂いだ」と言い張るのですが、ちなみにこれは三方ヶ原の前哨戦・一言坂の合戦におけるやりとり。
第17回放送「三方ヶ原合戦」で本多忠勝(演:山田祐貴)と本多忠真が武田の先鋒と一戦交えた時、家康は出陣していないのでフィクションと考えられます。
しかし遠江の領民たちはあまり家康を快く思っていなかったようで、「家康ならそのくらいやらかしそうだ、むしろやらかしたに違いない」と半ば願っていたから、このような伝承がまことしやかに伝えられたのでしょう。
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