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豊臣秀吉による「太閤検地」の歴史的意義は?荘園制度の解体から身分制度の確立まで【前編】

豊臣秀吉による「太閤検地」の歴史的意義は?荘園制度の解体から身分制度の確立まで【前編】

太閤検地のスタート

こうして行われたのが、秀吉が天下統一を果たした後の1594年の太閤検地です。

統一された検地尺にもとづいて行われたもので、実はそれまでの日本では度量衡が統一されていなかったことから、秀吉は日本史上初めて、検地の際の単位の統一を行ったのです。

太閤検地では6尺3寸を1間とし、1間四方を1歩、30歩を1畝、10畝で1段としました。また容積についても、1石は10斗、1斗は10升(1升は約1.8リットル)と定めます。さらに、太閤検地で使う枡も京枡にするものとしたのです。

さらに、検地で不正が行われないように、豊臣政権から派遣された検地奉行が、現地で直々に調査することになりました。

【後編】では、太閤検地のその後の影響や、検地以外に秀吉が行った天下統一政策について、さらに深堀りして見ていきましょう。

参考資料
『オールカラー図解 流れがわかる戦国史』かみゆ歴史編集部・2022

 

 

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