仁義なき戦いにピリオドを打て!細川・足利の将軍争奪戦を制した男・三好長慶【後編】:2ページ目
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晩年まで
このように、三好長慶は一時期は畿内のほとんど全域を支配下に置き、独裁政権と言っても差し支えない「三好政権」を確立させました。
その生涯は、もともとは父親の仇討ちという要素が大きかったものの、まさに乱世の下克上の体現者とでも言えるようなものでした。
そして、次第に主家である細川晴元をしのぐ力を得るようになって反旗を翻し、近隣諸国をどんどん掌握したいったのです。
しかしその後は身内の権力争いや敵対勢力との争いもあって、嫡男や弟たちを失って三好家も徐々に衰退。一時は幕府有数の権力者にまで上り詰めながら、晩年には失意のうちに病没することになったのです。
三好長慶の功績としては、細川政権を打ち倒したことで、明応の政変以降、足利と細川の「椅子取りゲーム」と化していた将軍職を巡るゴタゴタにひとまずケリをつけたことだと言えるでしょう。
参考資料
『オールカラー図解 流れがわかる戦国史』かみゆ歴史編集部・2022年
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