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天使のリングと仏像の”後光”はもともと同じものだった!?仏教芸術と西欧美術の知られざる起源

天使のリングと仏像の”後光”はもともと同じものだった!?仏教芸術と西欧美術の知られざる起源

光背の起源はあの「愛の国」!?

このように偉大な神仏の頭の後ろから光が差しているという表現は、人間の太陽信仰の表れだと言われています。

一方、もう少し文化的な面での起源をたどると、実は仏像の光背と、最初に述べた天使の輪はもともとは根っこが同じだということが分かります。

仏像に光背が付けられる表現様式が誕生したのは、2~4世紀のガンダーラです。ガンダーラとはパキスタン北西部の地域のことで、大昔にはさまざまな文明が交流し、融合していった場所でもありました。

ガンダーラと言えばゴダイゴの歌を連想する人も多いでしょう。西遊記では、三蔵法師は天竺(インド)を目指しますが、ガンダーラ地方はその途中で通過する可能性がある地域でした。

このことからも分かる通り、ガンダーラ地方は、仏教(大乗仏教)の世界への伝播と、それに伴う仏教芸術の広まりに大きく寄与した地域だったのです。

仏教美術と、その表現様式の一種だった光背という素材は、3世紀には新疆ウイグル自治区に、4世紀には敦煌へ、そして朝鮮半島を経て7世紀には日本に到達するというルートを辿りました。

ガンダーラは西洋美術の起源のひとつでもある

そしてそれとは別ルートで、2世紀頃にはエジプトとインド洋を結ぶ航路ができあがっており、こちらではガンダーラ~西洋美術のラインが成立します。例えば、東ローマ帝国のビザンツ美術でも光背が描かれた宗教画が多くありますが、この起源もガンダーラです。

そして時代が下り、西欧とビザンツ帝国の接点となるヴェネツィアでルネサンスが興ります。

ルネサンス絵画にはもともと仏教芸術から感化された形跡が多く見られます。

例えば大航海時代よりも前の作品であるミケーレ・ジャンボーノの『天国での聖母戴冠』に描かれた光背と、『敦煌の莫高屈』内の壁画『阿弥陀三尊五十菩薩像』の光背には深い関連があり、西欧の起源のひとつがオリエントにあることがはっきり分かります。

ルネサンス期には、聖なる存在の頭に光の輪があるという表現もすっかり定着していました。

例えば、レオナルド・ダ・ヴィンチが英国王室から「聖母子を描くなら必ず光背をつけろ」という趣旨の注文を受け、一度は描きあげた『岩窟の聖母』の人物像の頭に天使の輪をつけた形で描き直したという逸話もあるほどです。

こうしたことからも、仏像の光背と天使の輪っかは同じ起源を持ち、千年以上の歴史をもってそれぞれの文化に定着していったことが分かるでしょう。

参考資料
『ルネサンスとは何か?』 – 世界遺産アカデミー
趣味時間
成田山 東京別院 深川不動堂

 

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