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キリスト教布教のため日本初の女性修道会を作った「内藤ジュリア」の逞しい生き様

キリスト教布教のため日本初の女性修道会を作った「内藤ジュリア」の逞しい生き様

ベアタス会設立

慶長11年(1606年)、ジュリアは日本で初となる女子修道会・ベアタス(ラテン語で至福の意味)を女性キリシタンと設立します。その中には、筒井順慶の娘とされる伊賀マリアや大友宗麟の娘とされる大友メンシアがいました。

特に、伊賀マリアはジュリアから洗礼を受けたということもあり、深い親交がありました。そのため、宣教師の記録には「ジュリアの最初の友」と記載が残っています。

日本追放

熱心な布教活動も虚しく、ジュリアは慶長19年(1614年)にマリアや如安と共にルソン島(現在のフィリピン)のマニラへ島流しとなりました。マニラでも布教活動を続け、ジュリアは日本人女性13人と聖ミカエル会を結成。会長を務めました。

その後もマニラで活動し、寛永4年(1627年)に62歳の年齢で亡くなりました。

最後に

仏門からキリスト教に改宗し、生涯をキリスト教に捧げた内藤ジュリア。おそらくベアタス会設立の背景には、キリスト教の教えを多くの人に広めたいという思惑があったと思われます。

また、女性が修道会を設立することで、他の女性もキリスト教に改宗しやすくするきっかけや活躍の場所を作りたかったジュリアなりの考えがあったのではないかと考えてしまいます。

女性が生きづらい戦国の世で救いの手を差し伸べた、ジュリアの勇気と活動力は見習いたいものですね。

※参考文献:

・渡邊大門『戦国姫君イラスト事典』洋泉社、2010年
・阿部猛,西村圭子『戦国人名事典』新人物往来社、1987年

 

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