男女の神様の不仲で天変地異や疫病が流行!?「伊勢神宮」ができた意外なワケ:2ページ目
大物主大神と天照大御神の不仲で疫病に?
ではなぜ大物主大神は疫病を流行らせたのでしょうか。
奈良県に、大物主大神が祀られている三輪山と「大神神社」があります。三輪山自体がご神体とされ、登攀するときは「話す・写真を撮る」行為は禁じられており、本来は水を飲むのも禁じられている神域で、日本最古の神社の一つとされています。
実はこの三輪山に、崇神天皇の時代は天照大御神も一緒に祀られていました。
しかしこの二人は非常に仲が悪く、そのため邪悪な気が出てしまい、その影響で疫病が流行ってしまったというわけです。大物主は天照大御神と別居したかったために、別の場所に自分を祀らせるよう仕向けたのだとか。
そして天照大御神もどこかに移そうということになり、天皇の妹の豊鉏比売命(トヨスキヒメノミコト)が草薙剣と八咫鏡を持って連れ出し、笠縫邑(かさぬいのむら)というところに神籬(ひもろぎ)をたて祀ったということです。神籬とは臨時に神を迎えるための依り代のことで、要は仮として一時的に移したということですね。
当時に慌てっぷりが目に見えるようです…。
そして崇神天皇が亡くなり、倭姫命(ヤマトヒメノミコト)が斎宮(神に仕える皇女)に代替わりすると、天照大御神を祀る最適な場所を求めて各地を回ります。そして伊勢に着いたところ、神託があり、伊勢に神宮を造ることになったということです。
是神風伊勢國 則常世之浪重浪歸國也 傍國可怜國也 欲居是國
(この神風(かむかぜ)の伊勢の国は常世の浪の重浪(しきなみ)帰(よ)する国なり。傍国(かたくに)の可怜(うまし)国なり。この国に居(を)らむと欲(おも)ふ)
— 垂仁天皇25年3月丙申(10日)条、日本書紀
伊勢は常世の国からの波が何重も寄り来て美しい国なので、この国に鎮座しようという意味です。
それにしても神様同士の相性の悪さで人間がとばっちりをくうとは、なんとも迷惑な話ですね。
参考:古事記を知りたい(枻出版社)