「鎌倉殿の13人」処刑を命じられる義時。源義高の運命やいかに…第17回放送「助命と宿命」予習:3ページ目
終わりに
【義高の脱走】
元暦元年四月小廿一日己丑。自去夜。殿中聊物忩。是志水冠者雖爲武衛御聟。亡父已蒙 勅勘。被戮之間。爲其子其意趣尤依難度。可被誅之由内々思食立。被仰含此趣於昵近壯士等。女房等伺聞此事。密々告申姫公御方。仍志水冠者廻計略。今曉遁去給。此間。假女房之姿。姫君御方女房圍之出郭内畢。隱置馬於他所令乘之。爲不令人聞。以綿裹蹄云々。而海野小太郎幸氏者。与志水同年也。日夜在座右。片時無立去。仍今相替之。入彼帳臺。臥宿衣之下。出髻。日闌之後。出于志水之常居所。不改日來形勢。獨打雙六。志水好雙六之勝負。朝暮翫之。幸氏必爲其合手。然間。至于殿中男女。只成于今令坐給思之處。及晩縡露顯。武衛太忿怒給。則被召禁幸氏。又分遣堀藤次親家已下軍兵於方々道路。被仰可討止之由云々。姫公周章令銷魂給。
※『吾妻鏡』元暦元年(1184年)4月21日条
【義高の最期】
元暦元年四月小廿六日甲午。堀藤次親家郎從藤内光澄皈參。於入間河原。誅志水冠者之由申之。此事雖爲密議。姫公已令漏聞之給。愁歎之餘令断漿水給。可謂理運。御臺所又依察彼御心中。御哀傷殊太。然間殿中男女多以含歎色云々。
※『吾妻鏡』元暦元年(1184年)4月26日条
【政子の怒り】
元暦元年六月小廿七日甲申。堀藤次親家郎從被梟首。是依御臺所御憤也。去四月之比。爲御使討志水冠者之故也。其事已後。姫公御哀傷之餘。已沈病床給。追日憔悴。諸人莫不驚騒。依志水誅戮事。有此御病。偏起於彼男之不儀。縱雖奉仰。内々不啓子細於姫公御方哉之由。御臺所強憤申給之間。武衛不能遁逃。還以被處斬罪云々。
※『吾妻鏡』元暦元年(1184年)6月27日条
以上、『吾妻鏡』より源義高の最期を紹介しました。これ以降、大姫は病いがちとなり、20歳で儚い生涯を終えるまで義高を想い続けます。
平安時代の悲劇のヒロイン、源頼朝の長女「大姫」その悲恋と貞操の生涯(上)
ちなみに脱走の影武者となった海野幸氏ですが、命懸けで忠義を尽くしたことが高く評価され、御家人として活躍しました。
さて、悲劇が相次ぐ本作では、どのようなアレンジが加えられるのでしょうか。次回放送も目が離せませんね!
※参考文献:
- 五味文彦ら編『現代語訳 吾妻鏡 2平氏滅亡』吉川弘文館、2008年3月
- 『NHK大河ドラマ・ガイド 鎌倉殿の13人 前編』NHK出版、2022年1月
- 『NHK2022年大河ドラマ 鎌倉殿の13人 完全読本』産経新聞出版、2022年1月