裏山にキツネ、門前には子供たち…鎌倉幕府の公式記録『吾妻鏡』が伝える鎌倉殿の御所事情:2ページ目
大庭景能の庭先に狐の死骸が……
文治四年十一月大十八日己酉。西風烈吹。雪降。今曉。於大庭平太景能宅庭。狐斃云々。依爲恠異以閇門云々。」……
※『吾妻鏡』文治4年(1188年)11月18日条
もう一つ。その日は西風が強く、雪が降っていたそうな。朝方、挙兵以来の長老である大庭平太景能(おおば へいたかげよし。景義)宅の庭に、狐が死んでいたそうです。
現代人なら「かわいそうに」と保健所に死体引き取りの連絡をするか、あるいは毛皮をとろうなんて手合いがいるかも知れませんね。
しかし頼朝はじめ平安時代の人々はこれも「怪異」として恐れ、大庭景能は閉門(門を閉ざして謹慎すること)を命じられます。
何も悪いことをしていないのに、ただ庭に迷い込んだ狐が死んだだけで罰を受けるとは、景能もやり切れない思いでしょう。
これは「特に裏づけはないけど、何かよからぬことをした結果として怪異が起きたのだろうから、とにかく身を慎むべし」という考えによるものです。
とにかく平安・鎌倉時代とは、そういう時代でした。
終わりに・のどかな鎌倉
ちょっと怪異が続いたので、最後は狐じゃないけどほのぼのとしたエピソードで〆ましょう。
文治二年八月小十六日庚寅。午剋。西行上人退出。頻雖抑留。敢不拘之。二品以銀作猫。被宛贈物。上人乍拝領之。於門外与放遊嬰兒云々。是請重源上人約諾。東大寺料爲勸進沙金。赴奥州。以此便路。巡礼鶴岡云々。陸奥守秀衡入道者。上人一族也。
※『吾妻鏡』文治2年(1186年)8月16日条
鎌倉に滞在していた西行(さいぎょう)法師が御所から退出するシーン。
別れを惜しんだ頼朝が銀で作られた猫の置物を西行に贈ったところ、西行はそれを門前で遊んでいた子供たちにくれてやります。
西行の無欲ぶりを示すエピソードとして知られますが、ここで注目したいのは天下に名高き頼朝が住まう御所の門前で、当たり前のように子供たちが遊んでいるところ。
現代で言うなら、首相官邸のすぐ前で学校帰りの子供たちが缶蹴りとか縄跳びとかしているイメージでしょうか。次の瞬間、ガードマンが駆けつけて来そうですね。
裏山に狐が出る、門前で子供たちが遊んでいる……そんなのどかな鎌倉で、頼朝の武士団は助け合ったり殺し合ったり暮らしていたのでした。
大河ドラマ「鎌倉殿の13人」でも、そんな情景が描かれていると嬉しいです。
※参考文献:
- 細川重男『頼朝の武士団 鎌倉殿・御家人たちと本拠地「鎌倉」』朝日新書、2021年11月