「鎌倉殿の13人」頼朝にスキャンダル発覚!壮大な夫婦喧嘩の結末は…第12回「亀の前事件」予習:4ページ目
エピローグ
亀の前「もうあんな怖い思いをしたくありません。どうか伊豆へ帰らせて下さいまし……」
頼朝「まぁそう言わず。もう大丈夫だから……ねっ、ね?」
12月10日、亀の前は大多和五郎義久の館から、小中太光家の館へ戻されます。政子の嫉妬を恐れて身を引きたいのに、頼朝がどうしても放してくれません。
壽永元年十二月大十日丙午。御寵女〔龜前〕遷住于小中太光家小坪之宅。頻雖被恐申御臺所御氣色。御寵愛追日興盛之間。憖以順仰云々。
※『吾妻鏡』寿永元年(1182年)12月10日条
あれほどの騒動を惹き起こしておきながら、まぁだあの男(頼朝)は懲りないのか……腹の虫が収まらない政子は、八つ当たりとして伏見広綱を流罪にします。
壽永元年十二月大十六日壬子。伏見冠者廣綱配遠江國。是依御臺所御憤也。
※『吾妻鏡』寿永元年(1182年)12月16日条
頼朝には愛人の世話を押しつけられ、政子には館を破壊され、そして最後は流罪なんて……とことんついてない広綱。彼こそが「亀の前事件」における最大の被害者なのではないでしょうか。
ちなみに、配流先の遠江国は出身地ですから、恐らく実際はただ故郷へ帰っただけ(政子の手前、処罰された)と考えられます。これを最後に広綱は『吾妻鏡』から姿を消したのでした。
さて、けっきょく頼朝と亀の前はいつまで続いたのでしょうか。『吾妻鏡』には記述がないものの、しばらく姿を消していた(伊豆辺りに謹慎していた?)小中太光家が3年弱後に復帰するのと入れ替えだったものと思われます。
あと頼朝に髻を切られ、泣いて逃げ出した宗親は、その後ちゃっかり戻って来ました。頼朝の側近としてちょくちょく登場するのですが、大河ドラマでは割愛(逃げたらそのままフェイドアウト)でしょうか。
終わりに
以上、次回放送「亀の前事件」についてざっと紹介してきました。
「頼朝、浮気する⇒激怒した政子、宗親に亀の前を襲撃させる⇒頼朝が逆ギレ、宗親の髻を切る⇒時政が激怒、伊豆に帰る⇒頼朝が慌てて義時を呼ぶ⇒義時がいてくれて安心する⇒政子、腹いせで広綱を流罪に」
実に壮大かつはた迷惑な夫婦喧嘩。巻き込まれた御家人たちは散々だったことでしょう。
こんなゴシップ的においしいネタを三谷幸喜が見逃すはずないと思っていたら案の定。果たして第12回「亀の前事件」では、どんなアレンジが加えられるのか、今からゾクゾクしますね!
※参考文献:
- 『NHK大河ドラマ・ガイド 鎌倉殿の13人 前編』NHK出版、2022年1月
- 『NHK2022年大河ドラマ 鎌倉殿の13人 完全読本』産経新聞出版、2022年1月
- 細川重男『頼朝の武士団 鎌倉殿・御家人たちと本拠地「鎌倉」』朝日新書、2021年11月