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人生は50代から…武士道バイブル『葉隠』が教えるキャリア形成の心構え

人生は50代から…武士道バイブル『葉隠』が教えるキャリア形成の心構え

五十ばかりより、そろそろ仕上げたるがよきなり……

一二七 若き内に立身して御用に立つは、のうぢ(能持)なきものなり。發明の生れつきにても、器量熟せず、人も請け取らぬなり。五十ばかりより、そろそろ仕上げたるがよきなり。その内は諸人の目に立身遅きと思ふ程なるが、のうぢあるなり。又身上崩しても、志ある者は私曲の事にてこれなき故、早く直るなり。

※『葉隠』巻第一より

【意訳】若い内から出世して重要ポストなどについても、永続きしないものである。生まれつき才能があっても、人間として未熟で、周囲も納得しないからである。

キャリア形成は50代くらいから少しずつ仕上げていくのがよい。少し出世が遅い見えるくらいの方が、周囲の者も味方してくれて、若い内から出世するよりもかえって永く務められるものである。

また、トラブルに見舞われても、日ごろから志高く奉公に努めていれば、やましい事もないので立ち直りが早いものである。

まぁ、言っていることは現代と同じ。若い内から出世してチヤホヤされると、大抵は天狗になってしまうもので、いくら有能であったとしても、周囲のみんなが敵に回り、ついには引きずり降ろされてしまいがちです。

それよりは50代くらいからジワジワと頭角を現し、はた目にはちょっと出世が遅いかな?と思われるくらいの方が、周りのみんなも「何とか引き立ててやりたい」と味方になってくれて、結局は(若くして出世した場合と)同じ地位まで昇進できるでしょう。

しかも、周囲が敵だらけなのと味方ばかりなのでは、どちらがより永くその地位を務められるか(あるいは更なる出世が期待できるか)、言うまでもないでしょう。

何だかんだと言ってはみても、とかく人生は「終わりよければすべてよし」なもの。

「あの人、若い内は華々しかったけど、最後はパッとしなかったね」よりも、「あの人はずっと地道な努力を重ねて、最後に大輪の花を咲かせたね!」という人生の方が、きっと満足感も高いでしょう。

もちろん「まだ若いのに、あんな出世してすごい!」と賞賛されたい煩悩もなくはありませんが、すべてを満たすことなど出来ないのが人生ですから、やはりここは「終わりよければ」コースを選びたいところ。

とは言え、若い時からコツコツと努力を積み重ね、基礎を築いていなければ、50代から仕上げるもへったくれもありませんから、今は腐らず日々精進を重ねていきたいですね。

※参考文献:

  • 古川哲史ら校訂『葉隠 上』岩波文庫、1940年4月
 

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