騙される方が悪いのか?!江戸時代、利権独占に抗議した「武左衛門一揆」の顛末:2ページ目
一揆は成功!武左衛門たちの要求は受け入れられたが……
「野郎ども、今こそ立ち上がれ!」
「「「おおぅ……っ!」」」
何はなくとも法華津屋を打ち壊した武左衛門らは徒党を組んで伊吹八幡神社前の河原に大集合。その数は七千名を超えたと言われています。
「アイツ、あの時の桁打ちか……っ!」
「謀られた……あの場で捕らえておけば……っ!」
一揆勢はあまりにも多く、下手に取り締まろうとすればこちらが危ない……対応に迫られた吉田藩当局は、家老の安藤儀太夫継明(あんどう ぎだゆうつぐあき)を八幡河原に派遣し、責任を取るために切腹させました。
「そなたたちの要求を受け入れて紙座は廃止し、此度の主導者については罰せぬこととする!」
「「「やったぁ、俺たちの勝利だ!」」」
武左衛門たちは大いに喜びましたが、そのままめでたしめでたし……とはなりません。
実は吉田藩当局は一揆の首謀者を処刑する気満々でしたが、武左衛門たちはそれを予測していて、誰が主導者か判らないよう綿密に打ち合わせていたのです。
しかしこのままでは腹が収まらない当局は、農民たちに酒を振る舞い、何とか情報を引き出したのでした。
「それにしても、先刻の一揆において皆を取りまとめた者の手腕は目を見張るものであった。殿が士分に(武士として)取り立てたいと仰せなので、どなたか教えて下さらぬか」
そんな口車に乗せられた者が「あぁ、それなら日吉村の武左衛門だよ」などと口を滑らせてしまいます。
かくて武左衛門はたちまち捕らわれ、抗弁の猶予もなく斬首に処されてしまったのでした。
終わりに
かくして武左衛門一揆(吉田紙騒動)は終わりを告げでしたが、さすがに吉田藩当局も紙座を復活させることはありませんでした。
騙し討ちに命を落とした武左衛門でしたが、その勇気と行動力から義民として顕彰され、今も郷土の誇りとして語り継がれています。
また、けじめをつけるべく切腹した安藤儀太夫についても「安藤様」と呼ばれて安藤神社に祀られ、人々に崇敬されているそうです。
我が身を顧みず人々のために命を賭けた武左衛門たちの精神を、私たちも見習いたいものですね。
※参考文献:
- 宇神幸男『シリーズ藩物語 宇和島藩』現代書館、2011年8月
- 白方勝『武左衛門一揆考』白水書菴、1999年8月