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蜂須賀小六は盗賊じゃなかった?祖先の汚名を雪ごうとした子孫のエピソード

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陛下が笑いながらそう仰ったのは、きっと悪意ではなく、日ごろみんなが畏まって自分に接する中、この男は宮中にもかかわらず泥棒っ気(※)を出したことが純粋に愉快だったのでしょう。

(※)昔から「(モノを作りたくなる)職人っ気と(モノを獲得したくなる)泥棒っ気のない男はいない」と言うように、悪ガキ仲間を見つけたような気分だったのかも知れません。

しかし、茂韶にしてみれば素性の卑しい祖先をバカにされたようで、自分の振る舞いが恥ずかしくて悔しくてなりません。

そもそも蜂須賀家は清和源氏の末裔とされており(諸説あり)、小六が盗賊とされたのは江戸時代の伝記『太閤記(たいこうき)』による、秀吉の生い立ちをドラマチックにするための創作です。

しかし、そのイメージが定着してしまったため、小六の子孫たちは永らく苦しめられており、今回の件で我慢しきれなくなった茂韶は歴史学者の渡辺世祐(わたなべ よすけ)に依頼しました。

「我が蜂須賀家が、決して盗賊ではないことを調査・立証して欲しい!」

「承知しました」

一方、歴史学者の喜田貞吉(きた さだきち)にも調査を依頼したところ、

「蜂須賀小六は確かに盗賊(※)ではありましたが、戦国時代において盗賊は一概に恥ずべき職業ではなかった、という事実であれば、歴史的に証明可能です」

(※)土豪が敵対勢力から略奪を行ったり、街道を占拠して通行料をとったりなどする盗賊的行為は、何も小六に限った話ではありませんでした。

……との旨を回答。そんなことを明言されては困る、とこちらは有耶無耶になったそうです。

終わりに

しかし、祖先の蜂須賀小六が盗賊であろうとなかろうと、つい出来心で煙草を失敬してしまったのは他ならぬ自分自身。

古来「氏より育ち」と言いますし、どの家柄に生まれたかより、どう生きるかの方がよほど大切です。

その後、心を入れ替えた茂韶は職務に精励して元老院議官や貴族院議長、文部大臣や東京府知事など、明治政府の要職を歴任。

小六も子孫の活躍を喜び、誇りに思っていることでしょう。

※参考文献:
河合敦『殿様は「明治」をどう生きたのか』扶桑社文庫、2020年12月
小田部雄次『華族 近代日本貴族の虚像と実像』中央公論新社、2006年3月
司馬遼太郎『濃尾参州記 街道をゆく43』朝日文芸文庫、1998年3月
河盛好蔵『人とつき合う法』新潮文庫、2020年4月

 

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