蜂須賀小六は盗賊じゃなかった?祖先の汚名を雪ごうとした子孫のエピソード:2ページ目
陛下が笑いながらそう仰ったのは、きっと悪意ではなく、日ごろみんなが畏まって自分に接する中、この男は宮中にもかかわらず泥棒っ気(※)を出したことが純粋に愉快だったのでしょう。
(※)昔から「(モノを作りたくなる)職人っ気と(モノを獲得したくなる)泥棒っ気のない男はいない」と言うように、悪ガキ仲間を見つけたような気分だったのかも知れません。
しかし、茂韶にしてみれば素性の卑しい祖先をバカにされたようで、自分の振る舞いが恥ずかしくて悔しくてなりません。
そもそも蜂須賀家は清和源氏の末裔とされており(諸説あり)、小六が盗賊とされたのは江戸時代の伝記『太閤記(たいこうき)』による、秀吉の生い立ちをドラマチックにするための創作です。
しかし、そのイメージが定着してしまったため、小六の子孫たちは永らく苦しめられており、今回の件で我慢しきれなくなった茂韶は歴史学者の渡辺世祐(わたなべ よすけ)に依頼しました。
「我が蜂須賀家が、決して盗賊ではないことを調査・立証して欲しい!」
「承知しました」
一方、歴史学者の喜田貞吉(きた さだきち)にも調査を依頼したところ、
「蜂須賀小六は確かに盗賊(※)ではありましたが、戦国時代において盗賊は一概に恥ずべき職業ではなかった、という事実であれば、歴史的に証明可能です」
(※)土豪が敵対勢力から略奪を行ったり、街道を占拠して通行料をとったりなどする盗賊的行為は、何も小六に限った話ではありませんでした。
……との旨を回答。そんなことを明言されては困る、とこちらは有耶無耶になったそうです。
終わりに
しかし、祖先の蜂須賀小六が盗賊であろうとなかろうと、つい出来心で煙草を失敬してしまったのは他ならぬ自分自身。
古来「氏より育ち」と言いますし、どの家柄に生まれたかより、どう生きるかの方がよほど大切です。
その後、心を入れ替えた茂韶は職務に精励して元老院議官や貴族院議長、文部大臣や東京府知事など、明治政府の要職を歴任。
小六も子孫の活躍を喜び、誇りに思っていることでしょう。
※参考文献:
河合敦『殿様は「明治」をどう生きたのか』扶桑社文庫、2020年12月
小田部雄次『華族 近代日本貴族の虚像と実像』中央公論新社、2006年3月
司馬遼太郎『濃尾参州記 街道をゆく43』朝日文芸文庫、1998年3月
河盛好蔵『人とつき合う法』新潮文庫、2020年4月