日本から城が消えた理由。江戸時代に3,000あった天守城郭が僅か「12」に激減【前編】:2ページ目
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②廃城令(はいじょうれい)
江戸幕府が崩壊し明治新政府が成立すると、廃藩置県によって中央集権体制が確立する。全国の城郭は荒廃し、存在意義が失われていった。
1873年。明治政府は「廃城令(はいじょうれい)」を発布。1869年の版籍奉還により明治政府の所有物となっていた全国の城郭は、軍事利用や特別な例外がない限りすべて廃城処分となった。
廃城を免れ存続した城郭は40〜50城程度と考えられており、江戸末期に残存していた城郭の数と比較し、実に4分の1にまでその数を減らすことになる。廃城を免れた著名な城には江戸城・大阪城・姫路城・熊本城などがある。
しかし、当時の城郭は歴史的文化財として認識されていたわけではなく、あくまでも軍事的な二次利用が目的であった。そのため、存城した場合でも天守の撤去や城郭内部の不要な設備の排除など、必ずしも建造当時の姿のまま存城したとは限らない。
こうして明治期の廃城を免れた城郭たちであったが、次なる試練が待ち構えていた。
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