討幕への口火に!黒幕・西郷隆盛が仕組んだ薩摩屋敷焼打ち事件とは【維新政府、徳川慶喜の動向編】:2ページ目
衰えない慶喜の政治力
大坂に下った慶喜は、早速、イギリス・フランス・オランダ・アメリカ・プロシア・イタリアの6か国代表と謁見し、外交権は自分にあることを通告した。また、財政難に喘ぐ維新政府のために、金5万両を貸し与えるという余裕も見せた。
岩倉、西郷、大久保よ。王政復古のクーデターごときで事を成したとは思うな。国庫の管理も、外交もままならない、そんな政権で国を動かせるとでも思っているのか。お前らが持っているのは、空の権力だけだ。すぐに徳川の力を必要とする時が来るぞ。
そうした中、朝廷内の空気は微妙なものに変わりつつあった。三職会議(総裁・議定・参与で構成)では、討幕派の岩倉らを抑えて、公儀政体派(維新政府に徳川も必要だと考える一派)の山内容堂や松平春嶽らが巻き返してきた。
加えて、江戸から大坂に続々と集まってくる旧幕府軍の動きにも、討幕派は神経を使わずにはいられなかった。ここにきて、あの岩倉さえも揺らいできた。非武装上京ならば、慶喜の入京参内を許し、議定職に補してもよいという妥協案が御所内でまことしやかに囁かれはじめていたのだ。
そして、ついに12月24日、
1.慶喜の官位を前内大臣と称すること。
2.徳川家領200万石の返納は辞めにして、諸侯それぞれの石高に応じて徴収する。
との合意が維新政府内でなされた。ここに、慶喜の復権は確実に一歩前進したのである。