なんと側室300人!豊臣秀吉の女性選びが、他の戦国大名とちょっと違った理由とは?:2ページ目
一方、戦国大名たちは側室に何を求めたのか
そもそも、側室って何でしょうか。
「第2位以下の夫人でしょ?」そりゃまぁそうなんですが、彼女たちに与えられた(押しつけられた?)役割は大きく以下の通り。
一、家同士の橋渡しをすること
一、世継ぎとなる子供を産むこと
家同士の橋渡しとは、連携を強めるため、あるいは臣従を誓うために差しだす体(てい)のよい人質であり、両家の力関係によって側室として迎えたり、正室として重んじたりしたのでした。
人質だけなら男性でも代えが利かないこともないものの、次の「子供を産む」のは女性にしか出来ない役割です。
第一夫人である正室が子供(特に男子)を産んでくれれば問題ないのですが、いかんせん子供は「天からの授かりもの」であり、また男女で身体の相性などもありますから、必ず生まれるとは限りません。
そこで世継ぎが絶えないよう、保険として側室を貰って子作りに励むのですが、ここで求められる条件は、美醜よりもとにかく「健康(=たくさん子供を産めそう)であること」となります。
家柄なんて正直どうでもいい。またどれほどの美女であっても、子供が産めねば意味がないのですから……現代からすればとんでもない女性蔑視ですが、戦国時代においてそういう価値観があったのは間違いありません。
こういうシビアな事情を考えると、秀吉の女性選びが戦国時代において非常に異色で、かつ御家を存続させる上でリスキーだったことが分かります。
終わりに
かくして天下人の権力にモノを言わせて300人もの側室をかき集めた秀吉でしたが、果たして彼は満たされていたのでしょうか。
例えば大河ドラマ「秀吉(平成8・1996年放送)」では、最終回に秀吉の女漁りにほとほと嫌気が差した正室・おね(北政所)が出家(俗界と縁を切る、事実上の離婚)を申し出た際、側室の中に一人でも彼を安らがせた女性はいませんでした。
あれはフィクションですが一つの真理を描いており、コンプレックスを解消しようと何百人の美女たちをかしづかせたところで、ただ一人の妻を大切にする充足感には遠く及ばないもの。
秀吉が実際どう思っていたかは知るよしもありませんが、どうかあの世(あるいは生まれ変わった先)では、もっとおねを大切にして欲しいものです。
※参考文献:
楠戸義昭『豊臣秀吉九十九の謎』PHP文庫、1996年1月
熊谷充晃『教科書には載っていない!戦国時代の大誤解』彩図社、2020年11月
川和二十六『戦国時代100の大ウソ』鉄人社、2021年4月