トイレがお気に入り?戦国大名・武田信玄のトイレは理想的なワーキングスペースだった!:2ページ目
セキュリティ万全!居心地も最高な信玄公の特注トイレ
…信玄は御用心の御ためやらん、御閑所(ごかんじょ)を京間六帖敷(きょうまろくじょうじき)になされ、たたみを敷、御風呂屋、椽の下(縁の下)より、とひ(桶)をかけ御風呂屋(浴室)の、げすい(下水)にて、不淨をながす様にあそばし…
※高坂昌信『甲陽軍鑑(こうようぐんかん)』品第33より。
【意訳】
……信玄公は用心のためトイレを六畳の広さに造り、浴室から縁の下に樋を通し、残り湯を流して排泄物を処理するようにし……
信玄公のトイレは6畳間の広さがあったと言いますが、この「御用心の御ため」とは、不意の襲撃を受けた際に、すぐ刀を抜いて応戦できるよう、また壁から槍を突き出されてもすぐには届かない距離をとったものです。
また、これだけの広さがあれば信玄公以外にも人の出入りが可能で(入りたくありませんが)、武田家が駆使していた忍びの者からの報告を受けるのに使っていたという説もあるようです。トイレなら人目につきにくいですしね。
畳を敷いたのはやはり縁の下から刀など突き上げられないよう、畳の芯に何か硬いものでも入れておいたのでしょう(少なくとも、単なる板張りよりは防御効果が高まります)。
そして先進的な水洗トイレ。日本では20世紀後半まで(何なら21世紀の令和でも)汲み取り式トイレが少なからず使われている中、400年以上先取りしていたとは驚きです。
排泄後に鈴を鳴らすと、家臣が風呂の残り湯で排泄物を流す仕組みになっており、流した排泄物は敵の忍びに信玄公の体調を探られないよう、鯉に食わせて証拠を隠滅する用心ぶりでした。
他にも部屋の四隅に香炉をおいて伽羅(きゃら。お香)を焚かせ、快適な空間を維持させたと言います。信玄公はトイレを「山(甲州山)」と呼んでいたそうで、その意(こころ)は「山には草木(くさき)が絶えぬゆえ」とのこと。ダジャレですね。
ここまで至れり尽くせりのトイレで信玄公はリラックスして政務や勉学、作戦立案に励み、数々の勝利を収めていったのですが、長い時では半日も籠っていたとも言いますから、よほど居心地がよかったのでしょう。
「お屋形様はどちらへ?」
「動かざること山の如し……もう朝からずっと、山から戻られぬ」
「すわっ、遭難?!」
事情を知らない人なら、慌てて捜索願を出してしまうかも知れません。