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不景気で専業主婦志向の女性が増加?でも「男は仕事、女は家庭」の歴史は意外と浅かった?

不景気で専業主婦志向の女性が増加?でも「男は仕事、女は家庭」の歴史は意外と浅かった?:2ページ目

「働くのが当たり前」だった江戸時代までの日本人女性

「専業主婦」

稼得労働に従事せず、専ら家事や子育てなど無償の再生産労働に従事する既婚女性

と定義されています。

そのように家事・育児に専念するスタイルの女性は、第二次世界大戦が終わり高度経済成長期を迎えるまでは、ほとんど存在しませんでした。

「えっ!?武士の妻などは、伝統的に『良妻賢母』が当たり前だったのでは?」
と思った方もいるかもしれませんが、そもそも「良妻賢母」という言葉・概念も1902(明治35)年の全国高等女学校長会議で当時の文部大臣・菊池大麓(だいろく)による
「女子教育の目的とは、良妻賢母の育成である」
という趣旨の訓示から生まれた、比較的新しいものなのです。

江戸時代までは、日本の人口の大半は農民だったため、男女関係なく外で仕事をするのが当たり前でした。
また商人の家では妻が「女将」として店を仕切り、職人の妻も物売りや仕立てなどの副業をしているのが一般的。

さらに「大和撫子」「古き良き『良妻賢母』」の見本のように考えられている武家の妻も、時代劇や映画のように帰宅した夫を三つ指ついて迎え、刀を預かって夫の後に従って屋敷の奥へ…だけではありません。

上級武士の家では、正室には「奉公人を管理する」という仕事がありましたし、さらに身分の高い将軍の正室である御台所や天皇の后などには「大奥や後宮をトップとしてまとめる」という重要な仕事がありました。

下級武士になると、薄給で生活が苦しいことが少なくなかったこともあり、妻が内職などもしていました。

「妻だから家事・育児だけに専念する」ということは、現実的にほぼ無理だったのです。

専業主婦が一般的になったのは高度経済成長期

明治時代になると、近代化の影響で深刻な人手不足となりました。
さらに日清・日露戦争、その後の第二次世界大戦で働き盛りの男性が激減し、女性たちが労働力として駆り出されるようになります。

戦争が終わり景気が上向きとなった高度経済成長期になると、ようやく「年功序列や終身雇用があり、収入と将来が安定したサラリーマン」と「専業主婦」という組み合わせの夫婦が増えていきます。

小さい子供を保育園に預けて働かざるを得ない若いお母さんに対し

「子供がかわいそう!子供が小さいうちは、お母さんが働かないで家にいてあげるべきなのに!」

と責める年配の方をたまに見かけますが、それが可能になったのは1955(昭和30)年~1973(昭和48)年頃ですから、それほど昔のことではないのですよ。

参考

 

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