どんな無理でも通してみせる!戦国時代、武田信玄に仕えた武士・縄無理之助:2ページ目
「道理之助と名乗るがいい!」花沢城攻めでの不覚
かくして縄無理之助となった那波宗安ですが、信玄が駿河国(現:静岡県東部)へ進攻した永禄13年(1570年)。花沢城(現:焼津市)を攻める先鋒として矢玉を掻い潜り、城門へと肉薄していました。
一緒にいたメンバーは、信玄の御曹司・諏訪四郎勝頼(すわ しろうかつより)はじめ、長坂長閑斎(ながさか ちょうかんさい。光堅)、諏訪越中守(すわ えっちゅうのかみ。頼豊)、初鹿野伝右衛門(はじかの でんゑもん。昌次)。
そして無理之助の5人であと一歩という処まで辿り着いたのですが、城壁からの弓勢(ゆんぜい。矢を射かける勢い)はよりいっそう凄まじく、二進(にっち)も三進も行かなくなってしまいます。
「さて、どうするか……」
このままでは埒が明かない……攻めあぐねる一同でしたが、伝右衛門が城門にぶら下がった鎖を見つけ、無理之助に言いました。
「おい、あの鎖を槍先で引っかけられるか?」
「この激しい矢玉の中で、そんなことをすれば蜂の巣にされちまう。出来っこねぇよ」
そもそも、槍先で鎖を突いたところで戦況が好転する訳でもなく、単なる遊び。命を賭けて強行するほどの価値はありません。
「ほぅ、無理か?……じゃあ、ちょっと見てろよ」
言うが早いか伝右衛門は身を乗り出して敵の矢玉を掻い潜り、槍先で鎖を引っかけたと思ったら、大急ぎで戻って来ました。
「これは面白い。ならばそれがしも」
伝右衛門の豪胆に触発されて今度は越中守が飛び出していき、同じように成功させます。
「……」
無理之助が唖然としていると、伝右衛門と越中守が掴みかかって縄の陣羽織を奪いとってしまいます。
「何をしやがる!」
「この程度の無理も出来ずに、何が『無理之助』なものか。今後は『道理之助』とでも名乗るがよいわ!」
「ははは、左様々々……」
「……うぬら、言わせておけば!」
かくして3人は眼前の敵などそっちのけで大乱闘を始めてしまい、勝頼と長閑斎に仲裁されてようやく収まったということです。