どんな無理でも通してみせる!戦国時代、武田信玄に仕えた武士・縄無理之助:3ページ目
エピローグ
やがて花沢城は攻略されましたが、無理之助にとっては苦い失点となってしまいます。
その後、無理之助は汚名を雪ぐためによりいっそう武勇を奮い、最期は天正3年(1575年)長篠の合戦で壮絶な討死を遂げました。
現代の価値観で見れば「敵前での度胸試し」という何の合理性もない行為に命を賭けるのは愚行以外の何物でもありませんが、武士たちにしてみれば、その瞬間こそまさに「生の輝き」であり、後世に残したい名誉だったのでしょう。
こうした偏屈者たちの不器用さはどこか憎めず、何かと生きにくさを感じている現代人の心に、風穴をあけてくれるように思えてなりません。
※参考文献:
戦国人名辞典編集委員会『戦国人名辞典』吉川弘文館、2006年1月
土橋治重『甲州武田家臣団』新人物往来社、1984年4月
丸島和洋『戦国大名武田氏の家臣団 信玄・勝頼を支えた家臣たち』教育評論社、2016年6月