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大河ドラマ「鎌倉殿の13人」北条義時以外の構成メンバーは?その顔ぶれを紹介!

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三浦義澄(大治二1127年~正治二1200年)

平治の乱(平治元1160年)で頼朝公の父・源義朝に従うも、敗れて故郷の相模国へ逃げ延びますが、二十年の雌伏を経て頼朝公の挙兵に馳せ参じます。

戦乱の中で老父を討った畠山重忠(はたけやま しげただ)が帰伏すると、私怨を乗り越えて共に戦おうと受け容れる度量で頼朝公の信頼を勝ち取り、鎌倉の宿老として平家討伐で歴戦、数々の武功を上げました。

そんな義澄は建久元1190年、これまでの功績によって推挙(官位を推薦)されますが、「若い者に与えた方が、やる気も出るだろうから」と、息子の三浦義村(よしむら)に譲るなど、美しい引き際を見せています。

三善康信(保延六1140年~承久三1221年)

頼朝公の乳母の甥……現代の感覚では「赤の他人」ですが、当時は乳母を通じたつながりが深く、流人であった頼朝公に月に三度も京都の情勢を知らせ、その挙兵に大きな役割を果たしました。

法理に明るく公正な人柄で知られ、幕府の司法機関である問注所(もんちゅうじょ)の執事として御家人たちの揉め事を次々に解決する「鎌倉の良心」だったようです。

和田義盛(久安三1147年~建暦三1213年)

三浦義澄の甥で知られた暴れん坊。頼朝公の挙兵に際して「なぁ、いつか天下を獲ったら、俺を侍所別当にしてくれよ」と軽口を叩いたところ、本当に任命されてしまったという悪運の持ち主。

侍所(さむらいどころ)は御家人たちの動員や罪人の検断などを行う、いわば軍事・警察を兼ねた組織で、別当(べっとう)はそのトップですが、いざ御家人同士が喧嘩を始めると、仲裁どころか自分の身内に助太刀してしまうなど、血の気の多さが目立ちます。

数々の武勲を立てたものの、やがて北条義時に陥れられて挙兵(和田合戦)、一族郎党滅ぼされてしまうのでした。

終わりに

以上「鎌倉殿の13人」を紹介してきましたが、お気に入りの御家人は見つかったでしょうか。

「名前ばかり羅列されても分からない」という方向けに、何となくキャラクター別にカテゴライズ(※若干の主観アリ)しておくので、好みの御家人に目星をつけておくと、物語に感情移入しやすいでしょう。

【熱血!武闘派】
八田知家(はったの ともいえ)
比企能員(ひきの よしかず)
北条時政(ほうじょうの ときまさ)
和田義盛(わだの よしもり)

【クールな知性派】
大江広元(おおえの ひろもと)
安達盛長(あだちの もりなが)
中原親能(なかはらの ちかよし)
二階堂行政(にかいどうの ゆきまさ)
三善康信(みよしの やすのぶ)

【バランス派】
足立遠元(あだちの とおもと)
梶原景時(かじわらの かげとき)
北条義時(ほうじょうの よしとき)
三浦義澄(みうらの よしずみ)

彼ら13人が協調と対立の中で鎌倉殿を支え、共に描いたであろう「武士の世」がどのように描かれていくのか、ひとり一人の個性に照らしながらドラマを観ると、より一層楽しめるでしょう。

(※個人的には、史実だとあまり目立たない足立、八田、中原、二階堂、三善あたりにスポットライトを当ててくれることを期待しています)

改めて、放送が楽しみですね!

※参考文献:
川合康『日本中世の歴史3 源平の内乱と公武政権』吉川弘文館、2009年10月
細川重男『頼朝の武士団 将軍・御家人たちと本拠地・鎌倉』洋泉社、2012年8月
細川重男『執権 北条氏と鎌倉幕府』講談社学術文庫、2019年10月

 

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