戦国時代、加藤清正を追い詰めた男装の女武者・お京の方の武勇伝【三】:2ページ目
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大将同士の一騎打ち!正親、加藤清正を組み伏せる
「……まさか、あれほどの大軍とは……」
さて、志岐豊前守の援軍に駆けつけた正親ですが、迫りくる小西行長の軍勢を前に恐れをなした豊前守は、叛乱の首謀者でありながら早々に撤退してしまいました。
(その程度の覚悟なら、最初から兵など挙げねばよいものを……)
大いに落胆した正親でしたが、いくら総大将が逃げ出したからと言って、自分までそれに追従してしまったら、上方の連中に「肥後にはろくな武士がおらぬ」と物笑いの種とされてしまうでしょう。
「かくなる上は、我らだけでも斬り込んで、肥後国衆の意地を見せてくりょうぞ!」
古来「夜討ち朝駆け」と言う通り、正親の軍勢は早朝、小西行長の援軍に来ていた秀吉子飼いの猛将・加藤主計頭清正(かとう かずえのかみ きよまさ)の陣へ奇襲をかけます。
「そこにおわすは名のある大将とお見受けした!我が名は木山弾正正親!槍合わせ願おう!」
「おぅ、肥後国に武勇名高き弾正殿か!相手にとって不足はない!我こそは加藤主計頭清正、いざ参れ!」
互いに強敵と知って「オラ、わくわくすっぞ!」とばかり喜び勇んで挑みかかった両雄。数十合にも及ぶ槍合わせの末、地面に転がってくんずほぐれつの大乱闘。
「すわっ!」
「っしゃあ!」
実力こそ伯仲ながら、武運は正親に与(くみ)したようで、態勢を一瞬崩した清正を組み伏せて、その首級を掻っ切ろうと脇差に手をかけた、その時でした。
※参考文献:
国史研究会 編『国史叢書. 將軍記二 續撰清正記』国史研究会、1916年
戦国人名辞典編集委員会『戦国人名辞典』吉川弘文館、2005年
松田唯雄『天草温故』日本談義社、1956年
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