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そのルーツは伊勢神宮!「サイトウさん」のご先祖様や漢字の由来を紹介:2ページ目
叙用が斎宮頭(さいくうのかみ)としてお仕えしたのは、一説に西暦950年ごろ、村上天皇の御代、斎王は悦子(よしこ。醍醐天皇の皇孫)女王の年代と考えられています。
この頃は平将門の乱が終息(天慶三940年)して10年が経ってもその余波が収まらず、将門の本拠地であった坂東(現:関東地方)は元より、周辺地域でも混乱が続いていました。
伊勢国(現:三重県の大部分)でも情勢が不安定だったため、武勇名高い叙用に白羽の矢が立ったものと考えられます。
(本来、斎宮頭は文官ですが、いざ有事に斎王らの身辺警護や治安維持といった武官的な役割も期待されていたのでしょう)
叙用の父・藤原利仁(ふじわらの としひと)は、平将門の乱を鎮圧した藤原秀郷(ふじわらの ひでさと)と双璧をなす武人・軍事貴族として知られ、越後国敦賀(現:福井県敦賀市)を本拠地として、北陸地方に一大勢力を築き上げていました。
『今昔物語集』でのエピソードや、それを元にした芥川龍之介の小説『芋粥』にも登場する有名人ですが、叙用もまた、そんな父に恥じない武勇が高く評価されたのでしょう。
以上「斎藤さん」のルーツについてまとめると、以下の通りです。
- 平安時代、10世紀ごろに起こったと考えられる
- 藤原叙用が斎宮頭になったことを記念して名乗った
名字の由来を知ることで、ご先祖様から自分に受け継がれた歴史が、命の重みとして感じられるのではないでしょうか。
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