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藤原定家の初恋の人だった?心に秘めた激しい恋を歌った式子内親王のお相手は…

藤原定家の初恋の人だった?心に秘めた激しい恋を歌った式子内親王のお相手は…:2ページ目

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2018/07/07

いったい誰?彼女の心に秘めた恋の相手

そんな高貴な身分の彼女が、ここまで激しい恋心を抱いていた相手とは、いったい誰だったのでしょうか?

有名な説としては、式子内親王の和歌の師匠が藤原定家の父の俊成だったため、いつしか内親王と定家は親密な仲になった、というものがあります。藤原定家の日記である『明月記』に「体調の悪い式子内親王のお見舞いに行った」などの記述が多く見られるため、当時から噂も立っていたようです。

また、彼女は後の建久2 (1191) 年頃、謀反に関係したという疑いをかけられたことから出家し、それ以後法然上人を師と仰いでいます。そのことから、彼女の恋の相手は法然上人であったとも言われています。

いずれにせよ、内親王という高貴な身分の女性の色恋沙汰は決して表ざたにされることはなかったため、どちらの説も憶測の域を出ません。

実はこの歌は「題詠」!「百首の歌の中に忍恋を」

この歌の出典は『新古今和歌集』ですが、その詞書(ことばがき)には

百首の歌の中に忍恋(しのぶこい)を 式子内親王

とあります。

つまりこの歌は「題詠」、つまり「忍恋」というお題で詠んだ歌だったのです。当時の「歌合せ」ではこういったことがよく行われており、僧侶が恋する女性になりきって歌を詠んだり、老女が若い男性と恋歌の贈答を行ったりすることもありました。式子内親王の激しい恋のお相手が誰だったのか、そしてこの歌が彼女の本音だったのか、彼女は文字通り全てお墓の中まで持って行ってしまいました。しかし何より、定家が女性皇族の中で唯一彼女を百人一首に選んだだけに、その歌才は確かなものだったようですね。

 

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