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【小説】国芳になる日まで 〜吉原花魁と歌川国芳の恋〜第9話

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同じ時分の八月朔日。

吉原遊郭では季節外れの雪と見紛う白無垢姿の花魁が、娑婆とは無縁の華やかさで外八文字を踏み、仲之町の大通りを清艶に道中した。

八朔の花嫁道中である。

その一夜限りの花嫁も降りしきる夕立に攫われて思い出の泡となり、純白の花のあとには黒くわだかまった湿土がじっと空を睨む。

その土の上を吉原俄(よしわらにわか)の山車が練り歩き、人いきれの宵闇に秋の匂いが濃く立ちのぼり始める頃、十五夜の月見は巡って来た。

姐さん今日の月見の相方は、と振袖新造の美のるが訊いてきたから、佐吉はんよ、とみつは明るい声で答えた。

「佐吉はん?ああ、あの役者みたいな兄さんかあ。いいなあ姐さん」

美のるは声をうわずらせた。

吉田佐吉は今年の四月にみつの馴染みになったばかりの若い男だ。

実家が秣(まぐさ)問屋で尾張徳川家の下屋敷等に出入りしているというだけあって年齢に似つかわしくないほど遊び方は派手である。

初回は四月の十五日。狂歌連の仲間を大勢連れて揚がった。

ざっと見回しても連中で最も若いのは瞭然だが、佐吉は連の年配の者からも一目置かれていた。聞くと歌は連の中でも最も巧みで、連の判者をつとめているという。

見た目は芝居で二枚目を張っても良いほど端正な顔立ちで、どちらかといえば怜悧な印象なのだが、話すと面白い。

「尾州様の和田戸山の屋敷ときたら、ばからしいほど広いんだぜ。庭園も泉も橋も馬場もあって、神さんと仏さんと弁天さんがいっぺんに拝めて、しまいには作り物の宿場町まであると来た。殿様が遊びに来たら、家来どもが売り子になったり宿の女になったりして町屋ごっこをして遊ぶんだとさ。俺ア野良犬役になって、殿様にシッコしっかけてやらア」

「コラッ、お上が聞いてたらどうする」

生粋の江戸ッコ気質である佐吉には連中が冷や汗をかくような言動も多かったが、しかし普段聞けない話の数々は狭い籠の中の女郎には多分に魅力的であった。

佐吉は周りの狂歌師たちには「龍」とか「龍之介」と呼ばれていた。

「なぜ、『龍』と言いんす」

みつが訊くと、白髪交じりのなよなよしい狂歌師が笑って説明した。

「ああ、そいつアね、水滸伝(すいこでん)の九紋龍史進(くもんりゅうししん)がデエ好きだから、龍之介」

「えっ」

みつはつい、身を乗り出した。花魁が素っ頓狂な声を上げたので、狂歌師たちは随分驚いた表情をした。

「あちきも、史進がいっち好きでありいす」

「そうかい、花魁」

佐吉は白い歯を覗かせ、嬉しそうに微笑んだ。

話し始めると、二人はすっかり意気投合して語り合った。次々に男たちが相娼と連れ立って褥に移動するのを尻目に、朝どこかで目を覚ました犬の鳴き声が聞こえてくるまで一睡もせずに水滸伝の話ばかりした。その間佐吉はみつに指一本触れず、手も握らない。涼やかな笑顔で終始語ったのが、みつの心に深く残った。

「こんなに水滸伝の事を話したのは初めて」

「俺もだ」

帰り際、また来るよ、と佐吉は手をひらりとさせて、清風の吹き抜けるように去っていった。

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