両手の自由奪われ100日も!江戸時代に山東京伝や喜多川歌麿が受けた「手鎖の刑」とは?【大河ドラマ べらぼう】:2ページ目
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明治時代まで存続していた手鎖
刑罰としての手鎖は明治明治3年(1871年)12月の法改正によって消滅しました。
最後に手鎖の刑を受けたのは明治2年(1869年)、文書偽造の罪によって手鎖100日の判決を受けた服部喜平治(はっとり きへいじ)が最後だそうです。
刑罰としての手鎖はなくなったものの、拷問器具としての使用はその後も認められました。
司法の場から完全に手鎖が消えたのは明治12年(1879年)10月8日、太政官布告第42号によって廃止されています。
終わりに
今回は江戸時代を中心に用いられた刑罰・手鎖について紹介してきました。
果たしてNHK大河ドラマ「べらぼう~蔦重栄華之夢噺~」でも手鎖が登場するのでしょうか。
※参考文献:
- 石井良助『江戸の刑罰』中公新書、1974年3月
- 大久保治男『江戸の犯罪と刑罰―残虐・江戸犯科帳十話―』高文堂出版社、1988年1月
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