大河ドラマ『べらぼう』親なし・金なし・風流なし…けれど野心家!江戸のメディア王・蔦屋重三郎を完全予習【前編】:2ページ目
吉原育ちの重三郎ならではの吉原ガイドブックが大ヒット
当時、江戸土産としても大人気だった『吉原細見(よしはらさいけん)』という遊廓ガイドブックがあったのですが、改訂がほとんどされずに情報が古く、人気も信頼も薄れつつありました。
さらに吉原細見を独占出版していた版元・鱗形屋が重板罪(著作権の侵害)で謹慎処分になり同書籍を刊行できなくなったため、蔦重は自ら版元となりアップデートした吉原細見を出版することとなったのです。
吉原で生まれ育ち、すみずみまで精通し人脈も築き上げてきた蔦重にとってはまさにぴったりの仕事。
さらに、蔦重版吉原細見のタイトルは『細見嗚呼御江戸(さいけんああおえど)』と名付け、その序文を人気作家・福内鬼外(ふくちきがい)に依頼したのです。
実は、福内鬼外は、江戸のレオナルド・ダ・ヴィンチと呼ばれた平賀源内のペンネームでした。
当時、平賀源内は生粋の男色家としても知られ、『江戸男色細見』という陰間(体を売る若い男性の役者)茶屋のガイドブックや男色小説を出していたことでも有名だったのです。
男色家に「遊廓ガイドブック」の序文を書かせる
源内の序文は、女衒(ぜげん/遊女屋などに女性を売る仕事)が女性を買うときに、どんな部分に注視するかを挙げ「どんな女性でも、引け四つの時刻(※)にあまっている女性はいない。そんな器の広さがあるのが、このお江戸なのだ」という内容で締めくくっています。
※吉原の遊里で、遊女が張り見世から引き揚げる時刻
「あの男色家の平賀源内が、女の園の吉原本の序文を書いた!」ということで、江戸っ子たちの間で『細見嗚呼御江戸(さいけんああおえど)』は、大きな話題を呼びました。
面白みや新しさが薄れ、客離れしていた『吉原細見』でしたが、源内の序文はもちろん吉原で生まれ育った蔦重ならではの、微に入り細に入り描かれた充実した内容も大評判となったのです。
そうして、蔦屋重三郎は「版元」として確固たる地位を築いていきました。
後編に続きます。