藤原道隆の死により中関白家の没落が始まる…大河ドラマ「光る君へ」4月28日放送の解説・振り返り:4ページ目
正暦から長徳に改元
道隆の進言により、正暦(しょうりゃく)から長徳(ちょうとく)に改元されました。時に正暦6年(995年)2月のことです。
長徳という元号は、前漢末の文人・揚雄(よう ゆう。字は子雲)が記した『城門校尉箴(じょうもんこういしん)』にあるこの一節に由来します。
唐虞長徳、而四海永懐(とうぐとくながく、しこうしてしかいしたしむ)
※揚雄『城門校尉箴』より
唐虞(とうぐ)とは古代中国の聖帝と伝わる尭帝(ぎょうてい。陶唐氏)と舜帝(しゅんてい。有虞氏)のこと。二人まとめて唐虞と呼びました。
つまり「古代の聖帝二人は徳を長らえた=徳の高い政治を行ったため、四海=天下万民はみんな仲良く平和に暮らせた」という意味ですね。
誠に結構な元号ですが、劇中にも語られた通り、長徳(ちやうとく)を長い毒と解釈した向きもおりました。
劇中では面白おかしく大真面目に発音していましたが、超!毒ではありませんから念の為。
疫病に倒れゆく者たち
元号の毒ゆえかは分かりませんが、長徳元年(995年)は非常に多くの者たちが疫病に倒れました。
大納言・藤原朝光:3月20日没(45歳)
大納言・藤原済時:4月23日没(55歳)
右大臣・藤原道兼:5月8日没(35歳)
左大臣・源重信:5月8日没(74歳)
中納言・源保光:5月9日没(72歳)
中納言・源伊陟:5月22日没(58歳)
大納言・藤原道頼:6月11日没(25歳)……道隆の庶長子
道隆が病没したのが4月10日。その時点で第17回放送が終了したとすれば、内裏における疫病の地獄は次週のお楽しみです。
パンデミックに阿鼻叫喚の貴族たちが目に浮かびますね。誰ですか?「楽しみ」だなんて言っているのは……。
5月5日(日)第18回放送「岐路」
忘れじの 行く末までは 難ければ
今日を限りの 命ともがな※『新古今和歌集』 第十三 恋歌三 儀同三司母
【意訳】「貴女を決して忘れない」なんて言ったって、どうせ忘れてしまうでしょう。なら私は貴男の言葉を聞いたこの瞬間に死にたい。
高階貴子(儀同三司母。板谷由夏)が詠んだこの歌は、現代でも「小倉百人一首」として親しまれています。
さて次週は道隆亡き後、次兄の道兼が関白に就任するのですが……後世に伝わる「七日関白」そして道長は岐路に立たされるのでした。
兄たちの死により、いよいよ権力の絶頂へと急上昇する道長。
数年前の約束を果たし、まひろとの関係はどうなるのか?これからも目が離せませんね!
トップ画像出典:大河ドラマ「光る君へ」公式サイトより