武士たるもの、刀の手入れは…『六波羅殿御家訓』が伝える北条重時(義時三男)の教え:2ページ目
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「腰刀の錆びたる持つべからず」
さて、そんな北条重時が記した教訓がこちら。
一、 腰刀ノサヒタルモツヘカラス、シウヲヤノメス時、サヒカタナヲヌキテマイラセツレハ、思ヒヲトサルヽナリ、大方弓箭取者ノ、大刀カタナヲサハス事ナカレ、何時イカナル事ナ■アランスラント、不断ニ心用心アルヘシ、
※北条重時『六波羅殿御家訓』第31条(原文に番号はふっていませんが、便宜上)
【読み下し】腰刀の錆びたる持つべからず。主・親の召す時、錆び刀を抜きて参らせつれば、思い落とさるるなり。大方弓箭とる者の、太刀刀を錆ばす事なかれ、何時いかなる事な(ど)あらんずらんと、不断に心用心あるべし。
【意訳】腰の刀を錆びさせてはならない。主君や親に召し出された時、抜いた刀が錆びているとがっかりされてしまうであろう。そもそも武士たる者が太刀や刀(打刀、あるいは脇差など)を錆びさせるなど言語道断の不覚悟である。いつ何どき何があるか分からないのだから、たえず用心の心を忘れてはならないのだ。
ちょっと言い回しにくどさを感じるものの、武士としてはごく当たり前の心得ですね。しかしこれが江戸時代ならいざ知らず、鎌倉時代に謳われていたとは、人間の忘れっぽさを痛感させられます。
終わりに
承久3年(1221年)には承久の乱があり、戦後9~26年しか経っていないのに、武士たちの記憶は既に風化しつつあったのでしょう。
小規模な抗争やトラブルも絶えなかったけど、そんなのは一部の荒くれ者に限られ、あんがい平和を謳歌していたのかも知れませんね。
しかし「忘れたころにやってくる」のが兵乱や災難というもの。現代の私たちも常在戦場の精神を片隅に置きながら、日々の備えを固めたいものです。
※参考文献:
- 桃裕行 校訂『北條重時の家訓』養徳社、1947年10月
- 『増補改訂 武家家訓・遺訓集成』ぺりかん社、2003年8月
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