源頼朝の先祖と死闘を演じた藤原経清(奥州藤原氏祖)の壮絶な生涯【その4】:2ページ目
狙うは頼義の首ただ一つ
嫗戸柵に移動した貞任と経清でしたが、厨川の柵を落とし勢いに乗る国府軍の前に、すでに戦いの大勢は決していました。
安倍一族の滅亡は目前に迫り、経清も最期の時を悟りました。もはや彼らが望むべきものは、源頼義の首のみという状況に追い込まれていたのです。
貞任:俺は、生き残った弟たちと頼義の首を狙いに行く。一緒に斬りこもうぞ!
経清:いや、私には別の考えがある。貞任よ、ここで別れよう。
貞任:そうか相分かった。では、魂魄となって頼義の面前で会おう!
貞任は、弟の宗任・家任をはじめ、郎党たちと馬首を並べると、国府軍の真っただ中に突入していきました。
藤原経清の壮絶な最期
嫗戸柵が落ちたことで、延べ10年にもわたった「前九年の役」は終焉を迎えました。安倍一族の多くは討死にし、生き残った者たちも国府軍によって捕縛され、その中には藤原経清もいました。
経清捕縛の報を受けた頼義は大いに喜び、自ら検分を行うため経清を引き出します。
頼義:お前は源氏累代の家臣でありながら余を裏切った。それにも増して許されないのは、朝廷の御威光を蔑ろにしたことである。お前は、ここにいたっても、まだ白符を使うとほざくのか!
そこに重傷を負い、瀕死の状態の貞任が板戸に乗せられて運ばれてきます。貞任は、頼義の顔を一瞥すると息絶えてしまいました。
「前九年の役」の顛末を記録した『陸奥話記』によると、この後、意気消沈する経清を頼義が鈍刀により、鋸引きという残虐な手で処刑したとされます。しかし、いかに頼義が経清を恨んでいたとしても、そこまでやるには理由があったのでしょう。
貞任は、薄れゆく意識の中で経清の存在を確認したはずです。その経清が、いま頼義の面前にいる。その意味を悟って逝ったことは間違いないでしょう。
源頼義の激しい叱責に、頭を垂れたまま一言も発しなかった経清ですが、貞任絶命を見届けると爛々と輝く目で頼義を睨みつけ言い放ちました。
経清:貴様ごときが朝廷云々などとほざくのは、おこがましい限りだ。私利私欲のために戦を起こすなど言語道断。その証に、朝廷は兵を出さなかったではないか。貴様こそ、恥を知るがいい。
頼義:なにをほざこうが、お前は朝廷に反した大罪人である。とっとと首を刎ねよ。
頼義の命令で兵たちは、経清の身体を押さえつけさせます。この時、一人の兵が「あっ」と叫びました。経清が懐に短刀を忍ばせていたのです。
経清:隙をみて貴様を刺し殺そうと思ったが、ことここに至っては仕方なし。さぁ、早く斬れ!
頼義:お前はこの場に及んでも余の命を狙っていたのか。ええぃ、尋常に死ねると思うな!鋸引きにしてくれる!
頼義は兵に命じ、太刀の刃を何度も石に叩きつけさせました。そして、鋸状にした刀で、苦しみを長引かせながら経清の首を斬り落とさせたのです。