お役所仕事がすぎる!平安時代、村上天皇の即位式で門が開かなかった理由とは?:2ページ目
……それから長い時間が過ぎて、ようやく門が開きました……が。東扉は開いたものの、西扉は閉じたままです。
門の管理については内裏から向かって西側(右側)が右衛門府、東側(左側)が左衛門府の管轄となっています。
「いったい右衛門府は何をやっておるのか!」
さっそく右衛門府を問い詰めますが、こちらもまたいけしゃあしゃあと答えました。
「私どもは門の管理(主として警衛)が仕事であって、開閉については門部氏の管轄でしょう」
……だったらさっき伴氏と佐伯氏が問われている間、然るべき担当者に門部氏の手配を要請すべきだったのでは……いや、その作業すらも管轄外と答えるのでしょう。
「畏れ多くも主上(おかみ。天皇陛下)に半開きの門をくぐれと申すか!」
「いえ。そうは申しませぬが、なればこそ然るべき者がきちんと仕事をすべきでは……」
「もういいっ!お前たちには頼まぬ!」
結局、誰が開けたのかはともかく門を開き、どうにかこうにか村上天皇の即位礼は執り行われたということです。
終わりに
……とまぁ、一事が万事こんな調子だった平安京。天皇陛下の即位式でこの有様ですから、平素の業務や儀礼などはさぞやグダグダであったことでしょう。
でも、とかく前例(吉例)を重んじる朝廷のこと。こうしたアクシデントに臨機応変な対処でもしようものなら「違例(例にたがう≒空気を読まないマナー違反)」と陰で責め立てられるのがオチ。
それならたとえ天皇陛下が困ろうが知ったことか……と保身を図る者も少なくなかったのが、今回の事例からよく分かります。
さすがに現代ではそこまで硬直した人はいないでしょうが、大なり小なり「それは私の仕事じゃありません」「知りません、聞いてません」という手合いはいるもの。
何でも首を突っ込めばいい訳でもないものの、タテ割り体質を越えてみんなで助け合えるよう努めたいですね。
※参考文献: