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18歳にして流派を創始!左利きで剣術の道を究めた幕末の剣士・大石種次を紹介!

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九州から江戸へ名剣士たちと勝負!

文政5年(1822)に大石神影流の免許皆伝を受けた種次はまず豊前中津藩(現在の大分県)の長沼無双右衛門を打ち負かします。その後は九州各地から門下生がこぞってきてしまう事態となります。

天保3年(1832)には藩の命令で江戸へ行きます。

江戸でも7尺(約2m10㎝)の長身と5尺3寸(約160㎝)の長竹刀の種次の強さは凄まじく北辰一刀流の創始者、千葉周作でさえ樽の蓋を竹刀の鍔にした状態で辛うじて引き分けに持ち込ませたくらいです。

しかし、そんな種次でも唯一白井亨には敵いませんでした。

翌年にまた江戸に来ると今度は天保の三剣豪の1人である男谷信友(おたにのぶとも)と試合をします。種次はこの時、左肘を曲げて水平に構える得意の左片手突きで信友に2勝1敗で勝利します。

この試合は勝海舟からは「御一新(明治維新)以上の大騒ぎ」と言われます。その後は長竹刀が流行し、天保10年(1839)に再度江戸に来ると種次の名を聞きつけた旗本や諸藩の武士たちが入門する事態となり、江戸の各道場は恐慌を起こしてしまいました。

最後に

幼少期に大きな挫折を味わうと人間は大きく成長するものです。種次は周りからの評価と御前試合での敗北が大きなバネとなって大石神影流の創設という功績を残せたのだと思います。

種次は負の力をコントロールし、成功に導くことができた人物であると感じます。

 

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