江戸時代に陰湿極まりない”職場内いじめ”が発端で起こった刃傷事件「千代田の刃傷」とは?:2ページ目
2ページ目: 1 2
事件を隠ぺいするべく動く上司
この刃傷沙汰が発生した後、外記たちの上司である酒井山城守は周囲と共に事件を隠蔽すべく動きました。
事件をまとめる文書を書いた目付は、死者が出たことを記載せず、保身のために真実を書いた文書を封印文書として作成。本丸から来た侍医は、死亡者を危篤状態と偽る報告をするように頼まれ、一度は拒んだものの従いました。
ここまでの周到さで事件を無かったことにしようとしますが、外記が大奥に務める伯母にこれまでの嫌がらせを記した書き置きを残していたことで事件が発覚します。
老中が下した刃傷事件の判決
事件を知った老中・水野忠成(ただあきら)は、慎重な詮議の末に斬りかかられた5人は所領削減と改易処分を言い渡し、一部は断絶する結末を辿りました。
また、酒井山城守は書院番頭を外されました。
殺害された者にまで重い処分を下すくらい忠成は、この事件を重く見ていたことがうかがえます。
外記の方は父の忠順が職を外されたものの、子の栄太郎が家督を継ぐことを許されました。
模倣犯まで現れるくらいの反響が起こった
外記の起こした刃傷沙汰は、瓦版と落書きによって民衆に知れ渡ります。
民衆たちは外記を取り押さえずに逃げ回った旗本たちを笑いものにしたと言います。
また、読本作者・滝沢馬琴の『兎園小説余録』に収められたり、歌舞伎狂言となったり、昌平坂学問所で外記を称賛する模倣犯が同様の事件を起こしたりと民衆たちにも大きな反響を与えました。
ページ: 1 2