呉・音戸の清盛像、京都の清盛像、大河の清盛像、そしてデスノート
大河ドラマ『平清盛』の本編最後に「おまけ」みたいに付いてる、その日の舞台の現在の姿を見せるコーナー。あるいは、視聴率テコ入れのためか一時期連発されてた同様の趣旨の旅系特番。それらを見て思うのは「瀬戸内海沿岸では清盛、愛されてるなあ」ということです。
かの地に建つ清盛像を見れば、一目瞭然。呉市・音戸の清盛日招像など、典型でしょう。1日で音戸の瀬戸を切り開くため、沈む太陽を金の扇で手元へ招いたという清盛の伝説を、スタイリッシュにビジュアル化した像。エピソードは確かに「伝説」的ですが、でも「海ふっとばして道を開ける」とか「空を飛ぶ」とかではなく、あくまで「工期を間に合わせる」というのが現実的でいいじゃないですか。海の民にとっての清盛は、果てしなく広がる夢&未来と、それを実現するための現実的な方法を、結合して見せてくれる存在だったんでしょう。
それに対し、「おまけ」の半分くらいを占める京都における清盛像というのは、言っては何ですが、あまり夢、ありません。一番有名なのは、やはり六波羅蜜寺の坐像でしょうか。あまりにもデンジャラスな精神状態をイメージさせる顔、体、目つき。未来を見せるというより、あの世へ送られそうな迫力に満ちてます。持ってる巻物も、デスノートに見えてしょうがありません。
場所が変われば、人物像も変わる。「海」が日常的に見えるかどうかで、清盛の印象は違ってくるのかも知れません。そういえば、視聴率の変化のせいか、大河の清盛像もかなり変わってきました。最初は汗臭いとっつぁん坊やみたいだったのが、最近では結婚を渋る自分の息子を「さっさとガキでも作れやゴルァ」と庭へブン投げるDQNぶりを発揮してました。このまま行くと、どうなるんでしょう。やっぱり六波羅蜜寺の坐像みたいになるのでしょうか。前半の海賊戦は「ワンピースみたい」と揶揄されてましたが、終盤では「デスノートみたい」と言われる事態へ至ってしまうのでしょうか。視聴率が下がれば下がるほど『平清盛』、見逃せません。