武士なのに鎧の着付を間違えた?源頼朝の御家人・佐々木高綱のエピソード:2ページ目
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「あの。脇楯(わいだて)を胴の上から着けておられますが……」
脇楯とは右腋腹に装着して胴の隙間を内からふさぐ防具。胴の中に着ないとブカブカして効果が弱まるのはもちろん、外見的にも不格好です。
佐々木殿が何か指摘されている……せっかくの晴れ舞台にケチがついてしまったとばかり、御家人たちはザワつき出しました。
(あ。よく見たら佐々木殿は脇楯を鎧の上につけている……)
(いやはや初陣でもあるまいに、何という失態……)
(脇楯をつけ間違えるなんて、どれだけ慌てたらそんなミスをするんだ……)
そんな視線が注がれるのを感じた高綱は、指摘した者を叱りつけます。
「この物知らずめ……いざ御殿に危難が迫ったら、すぐに外してお渡しするためだろうが!」
終わりに
高綱着御甲間候前庭。觀者難之。以脇立着甲上爲失云々。爰高綱小舎人童聞此事告高綱。々々嗔曰。着主君御鎧之日。若有事之時。先取脇立進之者也。加巨難之者未弁勇士之故實云々。
※『吾妻鏡』文治元年(1185年)10月24日条
(原文では高綱に直接指摘したのではなく、陰口を聞いた小舎人童がこれを高綱に伝え、叱られています)
真っ先に着ける脇楯を、自分が一番奥に着けていたら、誰のための鎧か分かりません。
自分の鎧なら自分で着て戦いますが、主君の鎧はいざ有事にお着せするもの。
通り一遍の作法にとらわれて奉公の本質を忘れてはならない……高綱のエピソードは、そんなことを教えてくれます。
※参考文献:
- 高橋英樹『新訂 吾妻鏡 二 頼朝将軍記2』和泉書院、2017年4月
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