一族が粛清される酷すぎる仕打ち…戦国の世に散った武将・井上元兼の生涯:2ページ目
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なぜ井上一族は粛清されたのか?
毛利元就を支え、有能でもあった井上元兼ですが、次第に両者の関係は悪化していきます。
上記の通り、息子2人には元服に際して「就」の字が与えられていますが、3男には「就」の字が与えられませんでした。この3男の元服は、両者の関係がぎくしゃくし始めた時期以降と言われています。
関係悪化の理由は、井上元兼が影響力を持ち過ぎたことだと考えられています。自分の家を乗っ取られてしまうのではないかと考えた元就は、井上一族を粛正することに(※元兼の父・井上光兼は高齢のため、また元兼の孫も幼少だったため粛清を逃れています)。
井上元兼は65歳でこの世を去りました。
井上一族の粛清には脚色も?
元兼をはじめとする井上一族の目に余る振る舞いがあったことは元就の書状などにも言及されており、確かなようです。
しかし、井上一族の粛清については、直後ではなく10年以上の歳月が経ってから書かれたものが多く、脚色されている可能性もあるようです。
いかがでしたか?この記事が、みなさんが少しでも歴史に興味を持つきっかけになれば嬉しいです。
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