軟弱男はお断り!幕末明治に活躍した「男装の麗人」高場乱の結婚:3ページ目
「問う。そなたの男根は……」乱が突きつけた三行半
さて、新婚と言えば初夜の営みがお約束……早々に身支度を整えた乱は、床に控えて花婿を待ち(構え)ます。
「ふふ~ん♪」
湯から上がって来た花婿は、何も知らずに閨(ねや)へとやって来ました。
(相変わらず、腑抜けヅラをしおって)
内心の怒りを抑えながら、恭しくお辞儀をする乱の端正な仕草に、花婿はぞっこん。
「むふふ……そなた……愛(う)いのぅ、愛いの~ぅ!」
匂い立つような美しさに理性の箍(タガ)が外れたのか、今にも飛びかかろうとした次の瞬間。花婿の鼻先に、乱は拳を突き出しました。
「ひっ!」
寸止めにした拳には刀が握られ、腕からは血管が浮き出ています。思わず腰を抜かした花婿を睥睨(へいげい)するように、すっくと乱は立ち上がりました。
「問う。そなたの男根(マラ)は、刀(これ)より固いか?」
すかさず左手で花婿の股間を鷲掴みにし、寝間着やら褌(ふんどし)やら一糸残さず引き剥がします。
「うゎっ……ひゃあぁっ!」
「……なんだコレは。蒟蒻(コンニャク)か?それとも稲荷寿司(いなりずし)か?」
「嫌っ……やめてっ!揉みしだかないでぇっ!」
「えぇい、こんな男に抱かれかけたと思うだけで屈辱だ!」
「〇×△……っ!」「◇☆@……っ!」
……とまぁ、そんな散々な初夜から間もなく、乱は花婿に三行半(みくだりはん。離縁状)を突きつけてしまいました。
婿養子だったので話は早かったようですが、「こんなどうしようもない男を、路頭に迷わすのも気の毒だ」とばかり、財産の半分をくれてやったと言うから豪快です。
※ちなみに、甚だ凡庸であることを理由に離縁されたこの花婿は名前も記録されておらず、可哀想な気もしますが、せめてもの情けだったのかも知れません。
エピローグ
「……父上!やはり、それがしに女子は無理にございます!」
間もなく正山が隠居すると、乱は若くして高場流眼科術を継承(兄の義一は秋月藩医として仕官)。より一層学問を究めるべく亀井塾に入門、たちまち頭角を現して「亀井四天王」の一人に列せられました。
この頃、幕末維新の先覚者である小金丸源蔵(こがねまる げんぞう。後の平野国臣)と出逢い、新時代の日本国を背負って立つ人材育成の要を痛感。
黒船来航(嘉永六1853年)によっていよいよ動乱の世が幕を開けようとしていた安政三1856年、乱は私塾を開いて教育事業に乗り出し、その志を多くの者たちに伝えていくことになりますが、その物語はまたの機会に。
女性として生まれながら、誰よりも男らしく、そして武士らしく生きようとした「男装の麗人」高場乱。博多が生んだ女傑の生き様は、幕末を経て明治の男たちにも受け継がれていったのでした。
※参考文献:
小林よしのり『ゴーマニズム宣言SPECIAL大東亜論 第二部 愛国志士、決起ス』小学館、2015年12月
田中健之『靖国に祀られざる人々 名誉なき殉国の志士たちの肖像』学研プラス、2013年6月
永畑道子『〈新版〉凛 近代日本の女魁・高場乱』藤原書店、2017年6月