巴御前には負けないわ!男顔負けの武勇を誇る、木曾義仲が愛した女武者・山吹御前【前編】:2ページ目
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山吹御前は、信州の有力武家の出身?
義仲に仕えた3人の美しき女武者
木曽(源)義仲に仕えた3人の女武者・巴御前・山吹御前・葵御前は『平家物語』に登場します。
彼女たちは「便女(びんじょ)」(※1)という名で描かれており、義仲の愛妾でありながら、合戦では一手の軍勢を率いて戦う部将でもありました。
そして、当然ながら幼い頃から軍事教育を受けた武士の娘。巴と葵は、義仲を育てた中原兼遠の娘との説があり、おそらくは義仲と兄妹のように育ったことでしょう。
一方、山吹は、信州の有力武士団である滋野一族の筆頭・海野氏や下諏訪社の「大祝(おおほうり)」(注2)である金刺氏の出という説があります。
本当なら、出自としては巴や葵よりも上位の家柄の出身。これが、義仲の嫡子である義高の生母説の根拠の一つと考えられているのです。
木曽義仲に従い平家追討へ
1180(治承4)年、義仲は平家追討の兵をあげます。義仲に従った巴・山吹・葵の3人は、信濃国内の戦いで勝利し北陸に進出。
そして、1183(寿永2)年、倶利伽羅峠の戦いで、10万といわれる平家の大軍を撃破し、ついに入京を果たしました。しかし、この戦いで葵御前は、奮迅むなしく討死にしたと伝わります。
(※1)
便女…美女・召使の女性。
(※2)
大祝…諏訪明神の神霊が宿る生き神様として、諏訪大社(上社・下社)の頂点に位置した神職。
さて、山吹御前のその後はどうなったのでしょうか……
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