巴御前には負けないわ!男顔負けの武勇を誇る、木曾義仲が愛した女武者・山吹御前【後編】
山吹御前・巴御前を引き連れ、京都から平家を追いやった木曽(源)義仲。しかし、後白河法皇の要望に応えられず、徐々に信用を失っていきます。
そんな状況の中、法皇は、源頼朝に義仲討伐を要請。追い詰められた義仲は、法皇と後鳥羽天皇を幽閉し、迫りくる源範頼・義経率いる鎌倉軍を迎え撃ちます。
義仲の愛する山吹御前はどうなったでしょうか……ここまでのお話は、ぜひ【前編】もご覧ください!
前回の記事
巴御前には負けないわ!男顔負けの武勇を誇る、木曾義仲が愛した女武者・山吹御前【前編】
時は平安末期のこと。奢れる平家に対し判然と反旗を翻し、怒涛の勢いで平家を都から追いやった木曾(源)義仲。その傍らには3人の美女・巴御前・山吹御前・葵御前が甲冑姿も凛々しく控えていました…
都に残ることを決意した山吹御前
予想以上のスピードで京都に迫る鎌倉軍に対し、義仲は京都での防衛にこだわりました。
しかし、都での行動に人心を失っていたため味方する者は少なく、やむなく宇治川で鎌倉軍の阻止をはかります。
この出陣に巴は同行しますが、山吹は都に残りました。
『平家物語』には、「木曾は信濃を出でしより、巴、山吹とて2人の美女を具せられたり、山吹はいたわりあって都に止まぬ」と記されています。
山吹御前はこの時、病気であったとも妊娠中であったとも伝えられています。病気だとしたら、度重なる戦陣の疲れや都で義仲がおかれた立場を思う心労によるものかもしれません。
義仲が去った都で、わずかな家来たちと戦の結果を待つ山吹の心情はいかばかりのものであったでしょうか。
おそらくは、木曾軍の強さに一縷の望みを託していたと思われます。
しかし、その願いもむなしく、義仲は宇治川の戦いで惨敗、粟津の戦いで落命します。義仲に最後まで付き従った巴も、ついに行方知れずとなってしまいました。