巴御前には負けないわ!男顔負けの武勇を誇る、木曾義仲が愛した女武者・山吹御前【後編】:2ページ目
日本各地の残る山吹御前にまつわる伝承
義仲の死後、山吹はどうなったのでしょうか?いくつかの伝承が残されていますので、ご紹介しましょう。
伊予終焉伝承
義仲が伊予守であったため、その縁を頼りに病気をおしてわずかな家臣たちと伊予に落ち延びたものの、衰弱著しく、まもなくこの世を去ったという伝承があります。
実際に、山吹終焉の地(伊予市中山町佐礼谷)には、山吹御前神社が鎮座し、地元の人々から「御前さん」と親しまれているのです。
近くには山吹という名の集落があり、墓も存在。息絶えた山吹の亡骸を笹舟で運んだことから「曳き坂」という地名も残っています。
大津討死伝承
京都からほど近い大津市にも山吹の伝承が残されています。
義仲が粟津で討死したという報告を受けた山吹が、病をおして逢坂山を越え近江にたどり着いたものの、秋岸寺で源氏軍に討たれたという伝承です。
哀れに感じた民人が境内に地蔵尊を祀り、その霊を弔いました。JR大津駅にその祠が残されています。