巴御前には負けないわ!男顔負けの武勇を誇る、木曾義仲が愛した女武者・山吹御前【後編】:3ページ目
埼玉県嵐山町生存伝承
義仲の生まれた地とされる埼玉県比企郡嵐山町に伝わる伝承です。
この地に山吹を開基とする班渓寺(はんけいじ)というお寺の梵鐘に「妙虎大姉(山吹御前)が我が子義高の菩提を弔ってこの寺を建てた」と刻まれており、その位牌も安置されているとされます。
義高は義仲の嫡男で、頼朝の長女大姫と婚約し鎌倉に住んでいました。しかし、義仲没後、鎌倉を脱出するも頼朝により殺害されてしまいます。
この伝承よると山吹御前は義高の母であり、生き延びて義仲の故地にその確かな足跡を残していたことになるのです。
何かと取り上げられることが多く注目の的となる巴御前とは異なり、その存在があまり目立つことのない山吹御前。最後については諸説あり、さまざま地で異なる伝承が残っています。
しかし、「ひらかな盛衰記」の中で、木曽義仲との間に駒若丸をもうけた女性として描かれているように、山吹御前は、歴史の一場面を華やかに彩った存在であったことは間違いないでしょう。
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