アニメ化決定!話題作「アンゴルモア」に登場する北条時宗ってどんな人?人の巻:2ページ目
弘安の役後も続く時宗の激務
弘安の役後、時宗は平和を楽しむ間もなく激務に追われました。元の襲来を退けたものの、2度の元寇は防衛戦だったため、戦った御家人や祈祷をした寺社に恩賞として与える土地が不足。元の拠点潰しと恩賞の領土獲得を兼ねた高麗への侵攻計画など、時宗は休む間がありませんでした。
それが負担になったのか、時宗は病に臥せり始めました。政治では譜代の重臣と組んだ強硬派の時宗でしたが、彼自身は中国人の僧が伝えた禅に帰依しており、身内には優しい男性であったと言います。
弘安7年(1284年)の4月4日、病で心身が弱った時宗は出家した同日に、32歳の若さで息を引き取りました。
時宗が師事した中国人僧侶は、『時宗公は40年にも満たない御生涯でしたが、その功績は70歳を超えた人にも勝る』と述べ、世界帝国と渡り合った漢・時宗の雄姿を称えたと言われています。