裏切り者?それとも名将?築城の天才・藤堂高虎の江戸城縄張りと、石垣に見る驚きの築城術!:3ページ目
また、藤堂高虎は石垣からその特徴が見えてきます。上図は江戸城石垣と熊本城石垣を比較したものです。
熊本城は加藤清正得意とする「そり」が特徴的である「武者返し」であるのに対し、江戸城の石垣は高く直線的で水面から30mあります。高石垣の方が防御性に優れている一方で、堀を有する城は地盤が軟弱になる傾向があるため高さのある石垣は造りにくいとされています。
江戸城や伊賀上野城などの石垣が現存しているところに安定的な高虎の築城技術を見ることができます。
江戸が百万都市になり約260年に渡って繁栄を続けたのは、築城の天才・藤堂高虎が全面的にプロデュースした「江戸城」にあったことは言うまでもないでしょう。
今も尚、「東京」が日本の首都であることは藤堂高虎が都市としての「完全な下地」を江戸に敷いてくれたことに他ならないのではないでしょうか。