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夜の白川を巨大な電飾神仏が闊歩する。秋の京都・東山に蘇った奇観、粟田大燈呂

夜の白川を巨大な電飾神仏が闊歩する。秋の京都・東山に蘇った奇観、粟田大燈呂

京情緒あふれる、夜の白川。清流、柳の並木、そして絶妙なアクセントになってる行者橋が織り成す景観は、昼はもちろん、夜はムード満点です。が、10月の初旬の夜、この美しい風景の中へ乱入をする物体が存在します。ギンギラギンに輝く巨大な発光体が、この白川へやってくるのです。


「京の七口」の東側ゲートであり、謡曲『小鍛冶』の三条小鍛冶宗近ゆかりの地でもある、粟田口。その地に立つ粟田神社は、旧名を『感神院新宮』といい、近所の元・祇園感神院 / 現・八坂神社から牛頭天王を勧請した由緒を持ちます。その縁か、10月に行なわれる例大祭・粟田祭は、かつて祇園祭が中止に追い込まれた際に代理とされたこともあるとか。神輿巡幸はもちろん、京都独特の剣鉾を差す「剣差し」などは、祇園祭のルーツにより近い形態を持つとも言われてます。

祇園祭の代理を務めただけあって、粟田祭は実に賑やかです。というか特に最近、賑やかです。その象徴が、「粟田大燈呂」。青森のねぶたに影響を与えたと言われながらも、江戸末期に途絶した巨大風流灯籠を、地元芸大の学生さんたちが2008年に復活させました。粟田神社の祭神・スサノオノミコトとその旧態・牛頭天王に加え、稲荷や牛若丸、地蔵やえびすさん、そしてご近所さんである知恩院のボス・法然上人といったラインナップが、全長数メートルの電飾燈籠として東山へ出現。おまけに、ラインナップは年々、増加中。

このギンギラギンの神々、あるいは仏々が、祭りの宵宮などに神社の氏子域を巡行するわけです。氏子域には、先述の白川も含まれます。清流、柳の並木、行者橋、そして電飾法然、などとなるわけです。言うまでもなく、ものすごく、奇観であります。


奇観なのは、大燈呂だけではありません。法然の知恩院前では、神仏習合全開の「けいれん祭」なる祭事を開催。これは、門前の謎の石・爪生石の前に鉾を立て、そこへ知恩院の僧がやって来て、神職と共に祈りを捧げるというものです。門の脇には、電飾法然がしっかりと、鎮座。これまた言うまでもなく、ものすごく、奇観であります。

粟田神社 – 公式サイト

 

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