三郎(道長)がミチカネの弟だったなんて……大河ドラマ「光る君へ」1月28日放送の重要トピックを振り返り!:2ページ目
一、花山天皇の側近たち
さて、そんな花山天皇を支えた側近として、劇中では叔父の藤原義懐(高橋光臣)と乳兄弟の藤原惟成(吉田亮)が登場しました。
彼らは花山天皇の治世において権勢を誇りますが、その終焉と共に政治の表舞台を去ることになります。
それぞれざっくり見ていきましょう。
藤原義懐(高橋光臣)
天徳元年(957年)生~寛弘5年(1008年)没
花山天皇の生母・藤原懐子(かいし/ちかこ)の弟。花山天皇が即位するや蔵人頭に抜擢され、惟成と共に政治を主導しました。
関白の藤原頼忠(橋爪淳)や右大臣の藤原兼家(段田安則)らと三つ巴の政争を繰り広げます。
そのせいで、当初は革新的な政治を目指していた花山天皇の治世も次第に停滞してしまうのでした。
やがて花山天皇が出家すると、惟成の勧めもあって共に出家。政治の表舞台から去ることになります。
藤原惟成(吉田亮)
天暦7年(953年)生~永祚元年(989年)没
花山天皇の側近として権力を振るい、五位でありながら関白・大臣らをしのぐ有り様に「五位摂政」とあだ名されたと言います。
劇中でもふれていた破銭法や沽売法、そして荘園整理令など、いわゆる「花山新制」における実務を担いました。
破銭法(はせんほう)とはすり減ってしまった鐚銭(びたぜに)の受け取りを売り手が拒否、またはレートを引き上げることを禁止したものです。
また沽売法(こばいほう)とは、いわゆる物価統制令。劇中では布一反を100文、銅一斤を60文としていましたね。
そんな惟成ですが、花山天皇の出家と共に政界を引退。間もなく世を去りますが、こんな逸話がありました。
惟成には貧しい頃から暮らしを支えてくれた糟糠の妻がいたものの、出世のために離縁。源満仲の婿に乗り換えたのです。
妻はこれを怨み、貴船神社に「惟成を乞食にして下さい」と願掛けをしたところ、これが効果てきめん。
托鉢僧となった惟成を訪ねて「それ見た事か」となじったと言います。まさに盛者必衰の理、忘恩の報いと言ったところでしょうか。