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【光る君へ】ロクな未来が待ってない予感…「藤原通任(古舘佑太郎)」とはどんな人物?生涯をたどる

【光る君へ】ロクな未来が待ってない予感…「藤原通任(古舘佑太郎)」とはどんな人物?生涯をたどる

娍子の同母弟
藤原 通任(ふじわらのみちとう)
古舘 佑太郎(ふるたち・ゆうたろう)

藤原娍子の同母弟。道長が病の際に、これを喜ぶ公卿(くぎょう)の一人と噂(うわさ)される。

※NHK大河ドラマ「光る君へ」公式サイトより。

藤原娍子の弟ということは、三条天皇の義弟に当たる人物。その設定だけで、ロクな未来が待ってない予感しかしませんね。

果たして彼は、道長にどれだけ虐められるのでしょうか。それとも道長に屈するのでしょうか(道長は自分に従順な者には優しい)。

という訳で、今回は藤原通任(みちとう)の生涯をたどってみたいと思います。

姉の伝手で大出世

藤原通任は天延2年(974年)、藤原済時(なりとき)と源延光女(のぶみつ娘)の間に誕生しました。

兄弟姉妹に藤原為任(ためとう)、藤原相任(すけとう)、藤原娍子、念覚(ねんがく。僧侶)、宗覚(そうがく。僧侶)、女子(敦道親王妃)らがいます。

寛和2年(986年)に従五位下となり、左兵衛佐(さひょうゑのすけ)・右近衛少将(うこのゑのしょうしょう)など武官を歴任しました。

長徳2年(996年)には春宮権亮(とうぐうごんのすけ)として春宮妃(春宮・居貞親王妃)となっていた姉の藤原娍子に仕え、また右馬頭(うまのかみ)や讃岐権守(さぬきのごんのかみ)を歴任します。

のち寛弘8年(1011年)に三条天皇(居貞親王)が即位すると蔵人頭(くろうどのとう)に抜擢、同年内に参議となって公卿の仲間入りを果たしました。

これは蔵人頭の先輩で右大弁(うだいべん)を兼任していた源道方(みちかた)を飛び越す抜擢で、道方のみならず人々の妬みを買ったことでしょう。

しかしそんなことはお構いなし、翌寛弘9年(1012年)には一気に三階級昇進の従三位(じゅさんみ)となります。

【通任の大出世】

  • 従三位←ここまで一気に!
  • 正四位上(しょうしいのじょう)
  • 正四位下(しょうしいのげ)
  • 従四位上(じゅしいのじょう)←ここから

そして姉の娍子が三条天皇の皇后となると、通任はその弟として立后(りっこう)の儀式に参列しました。

三条天皇の義弟として、通任は我が世の春を謳歌せんとしていたのです。

2ページ目 道長の圧力に屈する

 

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