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このチャンス逃すまじ!北条泰時を論破し、承久の乱に加わった安東忠家【鎌倉殿の13人】

このチャンス逃すまじ!北条泰時を論破し、承久の乱に加わった安東忠家【鎌倉殿の13人】

「ダメだ。そなたは謹慎中であろう」

「何だよ、相変わらず堅いこと言っちゃって……あのな、平時だったらそれでいいだろうよ。しかし今は戦さの前だ。一人でも戦力が必要じゃないのか?」

泰時が鎌倉から連れてきたのはたった17騎。実際にはその郎党や家人がいるので数十から数百騎の軍勢ではあるものの、万を超えると言われる官軍と戦うにはまだ心細いところ。

「確かに、それはそうだが……」

「分かってンなら話は早い。善は急げだ、さっさと行こうぜ!」

「いや、父上に許可を……」

「あのな武州、よく考えてみろ。俺たちがこれから行くのは戦場だ。武功を立てれば罪は帳消し、討死すれば処分する手間が省けていいじゃないか。お互い悪い話じゃないだろう」

「しかし……」

「唐土(もろこし)の兵法にも『戦場では大将の判断が最優先(※)』と言うじゃないか。現場を知らない執権ドノに一々お伺いを立てていたら、勝機を逸するってモンさ。このくらいの事はてめぇの裁量でバシッと決めちまいな……いよっ、総大将!」

(※)将在外、君命有所不受(将の外に在りては君命の受けざるところあり)……孫子の言葉。

とか何とか丸め込まれてしまった泰時。うやむやの内に安東忠家は泰時の軍中にもぐり込んでしまったのでした。

終わりに

……及黄昏。武州至駿河國。爰安東兵衛尉忠家。此間有背右京兆之命事。籠居當國。聞武州上洛。廻駕來加。武州云。客者勘發人也。同道不可然歟云々。忠家云。存義者無爲時事也。爲棄命於軍旅。進發上者。雖不被申鎌倉。有何事乎者。遂以扈從云々。

※『吾妻鏡』承久3年(1221年)5月25日条

黄昏に及び、武州、駿河国に至る。ここに安東兵衛尉忠家。かくの間、右京兆(義時)の命に背くありのこと、当国に籠居す。武州の上洛を聞きて、駕を廻らし来たり加う。武州云く、客は勘発人なり。同道しかるべからずかと云々。忠家の云く、存ずる義は無為なる時の事なり。軍旅において命を棄てんため進発の上は、鎌倉に申さざるといえども何事のあらんやと。ついにもって扈従すと云々。

……かくして承久の乱に参戦した安東忠家は大いに武功を立て、それによって何となく罪を赦されたようです。

とかく世の乱れは人生をリセットするチャンスであり、絶好の機会を逃すまいと多くの者たちが奮い立ったのでした。

NHK大河ドラマ「鎌倉殿の13人」では描かれないでしょうが、泰時に従い上洛した御家人たちにもそれぞれの事情があったことを含んでおくと、より味わい深く楽しめるでしょう。

※参考文献:

  • 五味文彦ら編『現代語訳 吾妻鏡8 承久の乱』吉川弘文館、2010年4月
 

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