「鎌倉殿の13人」いよいよ源義経の最期まで突っ走るか?第20回放送「帰ってきた義経」予習:3ページ目
義経の最期と弟たちの謀叛
文治五年閏四月卅日已未。今日。於陸奥國。泰衡襲源豫州。是且任 勅定。且依二品仰也。与州在民部少輔基成朝臣衣河舘。泰衡從兵數百騎。馳至其所合戰。与州家人等雖相防。悉以敗績。豫州入持佛堂。先害妻〔廿二歳〕子〔女子四歳〕次自殺云々。
(以下、義経の略歴)※『吾妻鏡』文治5年(1189年)閏4月30日条
「かかれっ!」
泰衡は、藤原民部少輔基成(ふじわらの みんぶしょうゆうもとなり)の館に滞在していた義経を襲撃。
かねて朝廷から義経追討を命じられており、あわせて頼朝からの圧力に耐えきれなくなったのでしょう。
義経たちは家人らと共に奮戦するも衆寡敵せず、持仏堂へ入って妻と娘を殺し、自刃して果てたのでした。
「「何と言う愚かなことを!」」
秀衡の遺言に叛いた泰衡に憤る忠衡と通衡は謀叛の兵を起こしますが、義経の共犯者として6月26日に討たれてしまいます。
文治五年六月大廿六日甲寅。奥州有兵革。泰衡誅弟泉三郎忠衡〔年廿三〕是同意与州之間。依有宣下旨也云々。
※『吾妻鏡』文治5年(1189年)6月26日条
「朝廷の御意に従って九郎御曹司を討ち、謀叛を共謀していた弟たちも討ち果たした。これで、鎌倉殿とも和解できよう……」
残された泰衡と国衡、そして高衡の読みが甘かったことは広く知られる通り。内乱によって大きく勢力を削いでしまった奥州藤原氏は、間もなく滅ぼされてしまうのでした。
終わりに
稀代の天才軍略家として活躍しながら、権謀術数に翻弄されてしまった義経。
第20回放送のサブタイトル「帰ってきた義経」とは、奥州平泉に帰ってきたという秀衡目線なのか、それとも首級となって鎌倉に帰ってきたという頼朝目線なのでしょうか。
果たして義経はどのような最期を遂げるのか、弁慶の立ち往生や家人たちの奮闘にも注目したいところ。
そして、最も可愛がっていた義経の死を、源頼朝(演:大泉洋)がどう受け止めるのか。次回も見逃せませんね!
※参考文献:
- 高橋崇『奥州藤原氏 平泉の栄華百年』中公新書、2002年1月
- 高橋富雄『奥州藤原氏四代』吉川弘文館、1987年9月
- 『NHK大河ドラマ・ガイド 鎌倉殿の13人 前編』NHK出版、2022年1月
- 『NHK2022年大河ドラマ 鎌倉殿の13人 完全読本』産経新聞出版、2022年1月