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「鎌倉殿の13人」戦闘狂・源義経が大暴れの予感、木曽義仲主従の壮絶な最期!第16回「伝説の幕開け」予習

「鎌倉殿の13人」戦闘狂・源義経が大暴れの予感、木曽義仲主従の壮絶な最期!第16回「伝説の幕開け」予習:3ページ目

『平家物語』が描く義仲の最期・今井兼平の忠義

その後、手塚太郎光盛(てづか たろうみつもり)は義仲を守って討ち死に。その父である手塚別当(べっとう。諱は不詳)は老齢であったためか暇を賜わり、どこへともなく落ち延びて、もはや義仲と兼平の主従二騎に。

ここへ来て、義仲は弱音を吐きます。

「日来は何とも覚えぬ鎧が、今日は重うなつたるぞや」

※『平家物語』巻第九「木曽殿最期」より

いつもは当たり前に着ている鎧が、今日はずいぶん重く感じる……義仲は心身ともに参ってしまっているようです。

しかし、兼平は気丈に励まし続けました。

「御身もいまだ疲れさせ給はず。御馬も弱り候はず。何によつてか、一領の御着背長を重うは思し召し候ふべき。それは御方に御勢が候はねば、臆病でこそさは思し召し候へ。兼平一人に候ふとも、余の武者千騎と思し召せ。矢、七つ八つ候へば、しばらく防ぎ矢仕らん。あれに見え候ふ、粟津の松原と申す。あの松の中で御自害候へ」

※『平家物語』巻第九「木曽殿最期」より

何をおっしゃいますか。全然お疲れではありませんし、愛馬も弱ってはおりませぬ。たった一着の御着背長(おんきせなが。着背長は大鎧の美称)が重いなんて気のせいにございましょう。

まぁ左様に感じられるのは、御殿に味方がいないから気弱になっているだけのこと……しかしご案じ召さるな。この兼平はまさに一騎当千、そこいらの武者千騎よりも恃みになりますぞ。

ここに矢が七、八筋(本)ほどございますれば、しばし時間を稼ぎます。御殿はあそこに見える粟津の松原へ入って立派にご自害召されますように。

人は必ず死ぬもの、大切なのはただ生き延びることより、いかに立派な最期をしめくくるか……少なくとも、往時の武士たちはそのように考えていました。

さすがは乳兄弟、まさに忠臣の鑑と言える兼平ですが、義仲はすっかり気弱になられてしまったご様子。

「義仲、都にていかにもなるべかりつるが、これまで逃れ来るは、汝と一所で死なんと思ふ為なり。所々で討たれんよりは、一所でこそ討死をもせめ」

※『平家物語』巻第九「木曽殿最期」より

本当は京都で死ぬはずだったのがここまで逃げて来たのは、そなたと一緒に死にたかったからだ。別々に死ぬなんて嫌だ。一緒に戦って死のうじゃないか……現代人としては理解できる心情ですが、それでも兼平は譲りません。

「弓矢取りは、年来日来いかなる高名候へども、最後の時不覚しつれば、長き疵にて候ふなり。御身は疲れさせ給ひて候ふ。続く勢は候はず。敵に押し隔てられ、いふかひなき人の郎等に組み落とされさせ給ひて、討たれさせ給ひなば、さばかり日本国に聞こえさせ給ひつる木曽殿をば、某が郎等の討ち奉つたるなんど申さん事こそ口惜しう候へ。ただあの松原へ入らせ給へ」

※『平家物語』巻第九「木曽殿最期」より

いいですか。終わりよければ……じゃありませんが、武士と言うのは日ごろどれほど活躍して名を挙げても、その最期をしくじればすべて水の泡なのです。

日本国にその名も知られた木曽殿が、名もなき者に首級を挙げられてしまうのは、悔しくてなりません。

さぁさぁ、あの松原へ入って立派な最期を遂げて下され。それがし、最期まで敵を防ぎますから……兼平の忠義に感動した義仲は、ついにただ一人で松原へ向かったのでした。

4ページ目 『平家物語』が描く義仲の最期・兼平の奮戦虚しく……

 

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