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「鎌倉殿の13人」戦闘狂・源義経が大暴れの予感、木曽義仲主従の壮絶な最期!第16回「伝説の幕開け」予習

「鎌倉殿の13人」戦闘狂・源義経が大暴れの予感、木曽義仲主従の壮絶な最期!第16回「伝説の幕開け」予習

『平家物語』が描く義仲の最期・巴御前との別れ

『吾妻鏡』における義仲の最期は、かいつまんでしまえば「範頼と義経に攻められて都を追われ、近江国で討たれた」という実にあっさりしたもの。

それではつまらないと思ったのか、「講釈師 見て来たような……」とばかりに詳しく状況を書き記したのが軍記物語『平家物語』巻第九「木曽殿最期」。

こちらは史実性より面白さを重視。情景たっぷりに描かれているので、読みごたえも十分です。

原文はちょっと長すぎるので、「木曽殿最期」のクライマックス部分だけ掻いつまんで見て行きましょう。

「昔は聞きけん者を、木曽の冠者、今は見るらん。左馬頭兼伊予守、朝日の将軍、源義仲ぞや。甲斐の一条次郎とこそ聞け。互ひによい敵ぞ。義仲討つて兵衛佐に見せよや」

※『平家物語』巻第九「木曽殿最期」より

かねて噂に聞いているであろう木曽冠者を、今はその目に焼きつけろ。我こそは左馬頭(さまのかみ)にして伊予守(いよのかみ)、法皇猊下より朝日の将軍と讃えられた源義仲である。

そこにいるのは甲斐の一条次郎か、相手にとって不足はない。我が首級を獲って佐殿(頼朝)に見せてやれ……と義仲が百騎ばかりで突撃。すると一条次郎も負けていません。

「只今名乗るは大将軍ぞ。余すな者ども、散らすな若党、討てや」

※『平家物語』巻第九「木曽殿最期」より

野郎ども聞いたか、今名乗ったのは大将軍・木曽義仲。一人残さず皆殺しじゃ……とばかり、六千余騎で取り囲みます。

100対6,000……この60倍の兵力差にも怯むことなく、義仲たちは当たるが幸い、縦横無尽。

縦様(たてざま)、横様(よこざま)、蜘蛛手(くもで。×字)、十文字(じゅうもんじ)……好き放題に暴れ回って敵の大軍を突破すると、義仲たちは50騎ほどに減っていました。

次は土肥次郎実平(演:阿南健治)が率いる二千余騎の大軍へ突入。50対2,000で今度の兵力差は40倍。さっきよりはマシかも知れませんが、こっちも兵力が減って疲労も蓄積しています。

それでもあっちに4~500騎、こっちに2~300騎……と戦い続けるうち、気づけば主従5騎だけ(義仲、兼平、巴御前、手塚太郎光盛、手塚別当)に。

その中には、今井兼平も巴御前(演:秋元才加)も生き残っていました。しかしいよいよ最期を悟った義仲は、巴御前に伝えます。

「己は女なれば、いづちへも行け。我は討死せんと思ふなり。もし人手にかからば自害をせんずれば、木曽殿の最後の軍に、女を具せられたりけりなんどいはれん事もしかるべからず」

※『平家物語』巻第九「木曽殿最期」より

天下に知られた木曽義仲が、最期まで女連れだったと知られてはみっともない……当時の価値観からすれば至極当然ながら、巴御前は一騎当千の女武者。

女だからとナメられてたまるもんかという意地か、それとも義仲を慕って最期まで一緒にいたかったのか、いずれにせよなかなか聞き入れてくれません。

しかし、結局は義仲の思いを尊重した巴御前。

「あつぱれ、よからう敵がな。最後の軍して見せ奉らん」

※『平家物語』巻第九「木曽殿最期」より

いいでしょう。私が決して臆病でも非力でもないことを証明できる敵を倒して、最後のご奉公とさせて頂きましょう。

そこへ襲来したのは武蔵国の住人・御田八郎師重(おんだ はちろうもろしげ)。近郷でも名の知れた怪力の持ち主でした。

さっそく巴御前は単騎で敵中へ殴り込み、御田八郎師重を馬から引きずり落とすと自分の鞍に押しつけて、その首をねじ切ったと言います。

……武蔵国に聞こえたる大力、御田の八郎師重、三十騎ばかりで出で来たり。巴、その中へ駆け入り、御田の八郎に押し並べて、むずと取つて引き落とし、我が乗つたる鞍の前輪に押し付けて、ちつとも動かさず、首ねぢ斬つて捨ててんげり。

※『平家物語』巻第九「木曽殿最期」より

首ねぢ斬つて捨ててんげり……よもや素手でねじ切ったのか、恐らくは脇差(短刀)で掻き切ったのでしょう。それでも巴御前の武勇がすぐれていたことは疑いようもありません。

(ただし『吾妻鏡』には登場しないため、実在性に疑いの余地はありますが……)

かくして最後の奉公を果たした巴御前は武器を放って鎧も脱ぎ捨て、東国の方へと落ち延びていったのでした。

3ページ目 『平家物語』が描く義仲の最期・今井兼平の忠義

 

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